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就活日記④ 「職業に貴賎なしなんて言ったやつだれだ」

 

「職業に貴賎なし」

 

おお。確かにそうだそうだ。と思わせるカッコ良い表現が日本にある。

 

どんな仕事であっても社会に必要とされているから職業によって貴賎の差はない。差別してはならない。そう言った意味を持つ。

 

確かにそうあってほしい。けど、実際はどうだろうか。

 

就活をする上に置いて、福利厚生がなかったり、給料と労働時間の釣り合いが取れないものは敬遠される。

 

仕事も労働時間も同じなら、給料高い方に行くに決まってる。もしくは社会的地位の高いとこを選ぶのではないだろうか。

 

あるじゃん。貴賎。と、捻くれた自分は思ってしまうのだ。

 

差別なしに評価するなら、賃金が一緒だとか、社会的地位が一緒だとかあるだろう。

けど、全部ある。ということは、社会的地位や待遇によって貴賎が分かれているということだ。

 

そして、会社別から同じ会社内に視点を変えてみる。

お偉いさんは仕事をしなくても金が入って来る。ソルジャーは働いて働いて自分の生活費とお偉いさんの給料を稼ぐ。

 

もう一度。あるやんか。。。貴賎。

 

どんな仕事でも意味はあるとか、尊敬するべきだとか言う人たちに限って、ファストフードで飯をすませ、汗水垂らして働く人を犠牲にして

美味しい飯を食い、高級な車に乗り、役員室でゆっくりしている。

 

「貴賎なし」は、まるで役員も馬車馬も同じなんだよ。と言って、現実にある格差をブラックボックスに放り込んでいる。

 

本来なら、どんな仕事でも等しい価値を持っているから格差をなくさなければならない、という意味で使われるべきなのに。。。。

 

格差隠しちゃってるし。。。

 

頑張ってるのに貧乏になることを許してはいけない。

 

そして、就活生がここら辺のレベルの会社に就職したいとかいう偏差値的な評価軸があってはならないはずなのに。

 

 

それでも自分も大手企業を狙ってしまう。

特に、就きたい職種以外受けるところは。

 

あーあー。お金や社会的地位で固められた価値の差なんて一度吹き飛んでしまえばいいのに。

 

なんて言ってたら、社会主義者だ!!共産主義者だ!危険思想だ!と言ってどやされそう。

 

でも、人を勝手に差別して

会社を勝手に差別して

職業を勝手に差別して

 

ここには就職したくないなと思ってしまう自分の感性に嫌になる。

 

職業に貴賎なし

本当にその言葉が実現するなら

職業によって貧乏になることがあってはならないんではないだろうか。

 

「しんどいし、給料も少ない。精神病にもかかりやすい。けど、仕事の価値は一緒だからがんばれ!!」

 

なんていう人いたら、チョップしたい。

そして、自分の感性にもチョップしたい。

 

 

 

 

 

◯追伸

すごくまとまりのない文章で申し訳ないです。。。

 

けど、携帯が復活したのでどうしても何か投稿したくてしました。

 

そう、携帯壊れてたのです。。。

就活真っ只中に圏外になって現世に戻ってこなくなったiPhoneを見て僕は、焦りました。

 

いろいろ復活方法を試していると、今度は電源が入らなくなりました。

 

焦って焦って直したんです。

 

数日間予約いっぱいで、3日後の修理予約をしていたら当日のキャンセルが出て、その場で新しいものと取り替えてもらえました。

 

時期が時期だけに、なんとかなって本当によかった。

 

購入から一年以内だったので、無料でしたし、

新しくなったやつは元のよりさらに調子良さげなので、新しい相棒と就活を乗り切ろうと思います。

 

頼むから大事な時に壊れないでね。

 

 

「人格否定」では何も進まない

 

友人と些細な話をしていた。

ファブリーズは有用かどうかという、本当にどうでもいい話だ。

 

そうしていたら、少しずつ話が熱くなっていく。

 

お互いがお互いに引かないところまで来てしまった。

 

ここで相手の言っていることを認めると敗北感がすごい。って瞬間てあると思う。

 

それがエスカレートして喧嘩に。

 

正しさと正しさのぶつかり合いだから、自分も相手も自信満々に話す。

 

そこには相手より優っているという姿勢が出る。

 

だから自分は相手をイラつかせる話し方をしたいのだろう。。。

実際は熱くなりすぎて、自分が何言ったかなんて大半覚えてない。。。

 

けど、人間の頭とは都合のいいもので。相手の言葉だけは覚えているのだ。

 

「おれが面接官だったら、お前を絶対に落とすね。はい落ちた。〇〇社の評価軸だと絶対に落ちるね」

「全然おれのこと説得できてないし、説得される要素もないね」「はい、だから、お前の負け」

 

こんなのを言われたら、黙ってはいられない。

 

おれにそれ言うのかよ。。。と正直泣きそうになった。

 

友人は行きたいところから内定をもらっている。ぼくはなくて、就活を続けている。

 

自分が優秀でないことくらいはわかる。

けど、さっきの話はぼくの低い能力を叩くためにされたものではない。

 

相手が勝負に勝つために、言った言葉だ。

 

面接下手だよとか、伝えるの下手と言われるくらいなら反省したらいい。もしくは、ネタとして笑い飛ばせばいい。

 

けど、どうしても傷つく言葉はあるのだ

誰が好きで就活なんて何回もするんだ。しかも、就きたい職は特殊である。諦めて違うとこも考えた方がいいなんて頭が割れるほどわかっている。

 

なぜ必死でもがく状況を笑われなければならないんだ。

 

そんなことを思っていたら、バカみたいな姿勢をぼくはとっていた。

 

そう。相手の人格をぼくは否定しだしたのだ。

あまりにも腹が立って、しかも自分にもその原因はあるにも関わらず、相手のダメなとこを列挙し始める自分。

 

本当は、人格を否定するんではなく、言われたことが嫌だったと言ったらいいだけなのに。

人格を否定するのではなく、相手のとる姿勢や方法論を批判したらいいだけなのに。

自分が笑って誤魔化したらいいだけなのに。

自分が反省して引き下がったらいいだけなのに。

 

相手の個性を否定してしまった。

 

本来、議論は勝ち負けをつけるものではない。

対話の中から、より高次な領域へ共に進むための材料だ。

 

にも関わらず、自分は議論を拒否し、相手を攻撃し、潰そうとした。

 

ほんとうに意味のないことをした。

 

猛省中です。

 

 

 

〇追伸

就活をする上で面接官の合否が全てだ。

いくら友人がいようと自分なりの評価をしようと、面接官に落とされれば、自分を否定された気持ちになる。

だから、正直、勝手に落ちるとか決めつけないでほしかった。友達からその言葉を嘲笑的に言われると、全世界に否定された気持ちになるではないか。。。

 

 

TPPに反対していたメディアは何処へ

 

「TPP反対」

「TPP は日本を滅ぼす」

 

多くのメディアで、TPPへの批判が吹き荒れた時期があった。

 

個人的に私も反対だ。

何より賛成する理由を生活基盤の中に持っていない。

 

商品が安くなる利点はある。けれど、危険とともに農家の苦しみとともに安くなるものなど受け入れれない。

 

だから、いくつかの批判を繰り広げるニュースや新聞を応援していたんだ。心の中でだけど。

 

そして、転機は訪れる。

TPP 加入が決定しながらも、批判するメディア。うおーそうだそうだ!と思う私。

 

そんな中、トランプ氏が大統領に当選し、就任した。

 

TPP 離脱を決め込むちょいワル大統領。

そして、もっとアメリカに都合のいい二国間条約にしようと言い出す。

 

問題はここにあった。

今までTPP を批判してしたメディアがTPP を離脱するトランプを批判しだしたのである。

 

目を疑った。

二国間条約や離脱を批判するということは、必然的にTPP を肯定する形をとる。

 

今やトランプ批判のためには何でもやるといった姿勢である。

 

あれ?

TPPに反対していた姿勢はどこへ。。。

 

確かに、二国間条約はTPP よりさらにアメリカに都合のいい内容である。批判するのは的を射ている。

 

しかし。。。離脱を批判するのはあまりにもいただけない。

 

 

記事を書くにあたって、どの事実を選ぶかで方向性が出る。客観的な正しさなどどこにも存在しないのだ。

 

だからこそ、自分がどこにいて、問題をどう見るかという主観性が大切になるのだ。感想ではダメだろうけど。

 

だったら、メディアの立ち位置はあまりにも安定していない。

 

とりあえず何かを批判する。くらいの姿勢しか持っていないように見える。

 

ジャーナリズムの本質が批判することだけなはずがないじゃないか。

 

これまでジャーナリズムは事実を世の中に暴露し、社会正義を実行して来た側面を持つ。

 

革命にだって関与した。もちろん戦争にも。それほど主観的かつ実効的な役割を果たしてきた。

 

これはあかんから、こうしよう。

という姿勢が常にあったのだ。

 

いまのメディアをみていると。それすらない。

戦争の反省だとか言って権力批判を行う。

 

いいことなのだろう。

 

けど、言ってることがコロコロ変わる言論機関の言論を誰がどうやったは信じれるのか疑問である。

 

日本の記者の肩書きは、ジャーナリストではなく、ライターなのかもしれない。。。

偏見としての「ゆとり世代」

 

居酒屋で年配の方が騒いでいた。

ちょっと、その時の言葉を羅列してみる。

 

ゆとり世代って本当にクソ」

「あいつら社会人舐めてる」

「すぐに鬱になる」

「一杯目はビールだろ普通。ウーロンハイとか頼むやつ黙れよ」

「これくらいで、何がパワハラだ」

「草食系ばかり」

「携帯二年経ったのに変えないんですか?なんていちいち聞くんじゃねーよ」

「なんでですか。なんていちいち聞くんじゃねー」

 

これを少し離れたところで喋られると、自分に言ってるようにしか思えないほどだった。

 

 

なんか耳を傾けていて、率直な感想を。

偏見が強すぎる。そして、内容がゆとり世代かどうか関係なさすぎる。

 

こういった話をよく居酒屋で耳にする。

んー。違うなーと思う。

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そもそも、一杯目はビールである必要はない。自分は好きだけど、嫌いな人が無理して飲む空間なんて普通はその方が気分悪いのではないだろうか。

 

鬱になりやすいのは確かだ。けどそれはすべての人間に言えること。今の社会構造で騒いでた人が同じ教育を受けて会社に勤めると確実に鬱だろう。こんなに根拠のない攻撃性を持っていたら鬱ですめばいいレベルだ。

 

パワハラは肯定しない方がいい。パワハラパワハラまがいの手法に頼る人間は、それ以外で人を動かす力を持ち合わせていないからだ。

 

草食系ばかり。それは人によるだろう。そして草食系だから仕事ができないとはなんら関係がない。

 

携帯の話されただけで怒るのは普通におかしい。

 

社会人舐めてるについては、この人自身への態度が気にくわないらしい。聞いてる感じ社会人を舐めているのではなく、その人が舐められていると感じだ。

 

そして、何故という理由や根拠を聞くことを否定してはならない。逆にこれを聞かない人や意識できない人はビジネスにおいてあまり主体的に動かない人だ。上意下達で言われたことのみを遂行する。兵隊でいいならいいが、それで指揮官ぶるのは間違っている。

 

ゆとり世代」とひとかたまりにするが「ゆとり教育」とは何なのか知らなさそうだ。いきなりゆとりになったわけではない。高度経済成長期の詰め込み教育から、政府は徐々に教育の内容を変えてきたのだ。なので、実は結構な年代の人まである意味での「ゆとり世代」なのだ。それを知らないあたり、勉強を怠っている「ゆとり世代」なのではないだろうか。

 

 

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というのが自分のその時の感想である。

自分も、ぐちぐち反論を頭の中で浮かべてるあたり小さい人間だ。けど、自分が叩かれたような感覚になったから、これくらいは言わせてくれー!と思った笑

 

ってそんなことを言いたいのではない。

 

言いたいのは、彼がこんなに攻撃的に語る背景である。

 

家に帰らず一人で酒を飲み、なかなか子どもたちの教育費も厳しいらしい。仕事もうまくいっていないらしい。

 

だからこそ、何かをひとまとめにし、攻撃するのだ。

歴史を辿ると、どんな時代でも人間は自分より下の集団を作り、叩くことによって自分たちを保ってきている。

 

それほど彼の置かれている状況はしんどいのだ。攻撃をする必要はない。けれど、攻撃的にならなければ自己保存できない。

 

誰かより自分は優れている。

誰かよりはマシな人間だ。

 

そんな抑圧しなければ耐えられないほど、今の社会構造は個人個人に負担をかけている。

 

 

 

就活日記③ 「短期決戦」

 

1日に就活のスケジュールが解禁された。

 

蓋を開けてみると、本当にすごい短期決戦である。

 

何が経団連のスケジュールだと叫びたい。面接の始まる6月には多くの企業が内々定を出せるような採用フローばかりではないか。

 

自分は、どうしても受けたい業界は数にかなり限りがあるので、他の業界もインターンに行ったとこ含め、探す。

 

説明会に行ったり、就活サイトをポチポチしたり、企業のホームページ行ったり。

 

あああ。本当に説明会とESの時期が集中している。

 

3月と4月はいっさい空きがでないのではとおもうほど。

被りもたくさんあるので、逆に大学の単位履修の要領で、空いた日の説明会を探す方が安心できそうなレベルだ。

 

そして何が困るかって。。。説明会を東京のみで行うところが多い。。。

 

しかも、絶妙なばらつき方をしている。

そんなにちょくちょく説明会のために東京に行くお金なんてない。

時間がないから必然的に時間をお金で買う。つまり、場合によっては、バスでなく新幹線になる。

 

目指している業界や企業のは行くのだけど、それ以外にも入れると本当に文無しになりそう。

 

そして、行きたい業界はどこの企業を受けるにしても、簡単ではない筆記試験がある。

常にその勉強もしつつ、興味が薄い企業の説明会に行き、ESを出し、テストを受けて、やっと面接。

 

んんん。いや。

それって、当たり前のことなんだけど、スケジュール帳に向かって3月からの予定を組もうとすると唖然とする他ない。

 

体よ。頼むから、3ヶ月だけ分散してくれ。

そう叫びたい。。。

 

これで年上の人たちに「ゆとり世代はダメだ」と罵られるのだ。

私たちの立場はどこにあるというのだ。

 

情報化が進み、簡単につながり可能なことが増えたからこそ、複雑になる。必然的にキャパオーバーを起こす。

 

携帯が便利になればなるほど、仕事と距離を置けなくなる。就活サイトが便利になればなるほど、就活生の考える時間は減り何が何だか分からなくなりながらも足を動かす。

 

こうして、温かい人間同士の繋がりは薄くなる一方で、仕事や就職などの冷たく不安定な関係性は強く濃くなっていく。

 

年上の方々の世代とは違いすぎるのだ。

 

すぐ鬱になるだとか、仕事辞めるだとか、動くのが遅いだとか言われるけど。。。


これほど常に混乱させられる社会で泳いでいるんだから、もはや当たり前だろ!とさえ思う。

 

結果だけ叩いて、何故そうなるのかまで考えてくれる年配の方々は少ないのだ。

 

毎年毎年、鬱になった就活生が自殺する。
毎年毎年、仕事で鬱になった若者が自殺する。
毎年毎年、過労死で人が亡くなっている。

毎年毎年、働きすぎて働けなくなり、路頭に迷う人がいる。

 

利益追求のため競争し、便利さと労働の効率・質・量を求め続けてきた社会が人を殺しているのだ。
その精神を人格化した上に立つ人間たちが不可視的に間接的に多くの人の命を絶たせている。

 

なんて社会だ。

この文章を見た人は、就活が嫌な働くのもめんどくさい「ゆとり世代」のバカ学生に写ると思う。

 

そういうことではないのだ。

 

やりたいことをやらない人生は覚悟している。それでも置かれた場所で最大限にやりたいことはやる。

そして、自分で主体的にやりたいことをやりながら生きていける空間を作り出すことだってできるはずだ。

 

ただ生きるために働くのに、死ぬために働いているような社会は容認できない。

 

 

しかも自分のためではなく、企業のために命を捧げろというもんだから、タチが悪い。

 

なんでこんな愚痴を言っていても、就活の構造には逆らえないのだ。

 

ダサいなー自分。笑

 

今から数ヶ月後、自分がどんな状況でどんな顔をしているのか予想できない。

もちろん落ち続けたらげっそりしている。けど、受かったとしても今の社会構造に腹が立ってげっそりしている。

 

ドヤ顔で「こうやったら受かる!」「こういうやつは求められる人材だ!」みたいなことを言う内定者にはなりたくない。

 

その笑顔を他人を軽視した結果からくるのだ。

そして、その笑顔はしんどくなった時、自己責任論として自分自身に突き刺さるのだ。

 

こんなダサい社会はささっと潰れろー!

 

なんて言ってみます。そして、矛盾を抱え就活します。

 

おーわり!

 

◯追伸

ほとんどの人が大企業に行きたがる。社会的地位も給料も高いからだ。

けど、知り合いの先生は「会社辞めたって言いにきてくれる元生徒たちは、だいたい誰でも聞いたことのあるような会社に勤めてますね」と言った。

金がないと生きていけない社会。けど、そのぶんリスクも高い。ハイリスクハイリターンと言うけれど、プラスのハイリターンを受けれる人はどれほどいるのだろうか。

 

成功のみを真似する者は失敗する

 

巷間に溢れるビジネス書、自己啓発本

 

自分はこの類の本が好きで、よく読む。

 

どのようにすれば成功するのか。

そんな内容を読んでいると何だか自分もできそうな気がしてくる。

 

けど、ふと考えて見ると

失敗談、もっと言えば失敗の分析が少ない。

 

成功方法を読んでいると同じところもあるのだが、契機となる出来事はだいたい違うのだ。

 

成功への姿勢に法則性はある程度あるものの、

成功する方法論には一貫性がないのである。

 

数少ない失敗の分析を見てみると、これまた面白くて、こちらにこそ方法としての一貫性がある。

 

多くのビジネス書は、この失敗の法則に引っかからないよう、著者の考え実践してきた成功方法を声高く叫んでいるのだ。

 

だから、成功を描く本を読むことが間違いではないと思う。

けど、やはりもっともっと失敗に重点を置いたものを読みたい。

 

「これは絶対に失敗する」というものがわかれば、そこからは本人による試行錯誤の繰り返しだ。

 

同じ方法での成功は、同じ社会においてはそうなんだも通用しない。

 

だからビジネス書を読んで二番煎じになった時点で負けているのだ。

 

実際本になっている時点で二番煎じにどころか、使い古され通用しづらくなってしまうレベルのものも多々あるはずだ。

 

結果、通用しなくて本のせいになんてしてしまうのだから、何とも言えない切なさが出てくる。

 

先人たちは何を残したか。

それは無数の成功の歴史と法則。

そして、無数の失敗の歴史と、いくつかの失敗の法則だ。

 

失敗をいかにして学び、成功に結びつけるか。

基礎をなす全体は失敗だ。

 

成功できるかどうかは、失敗の歴史と法則をどう使うかにかかっている。

 

 

◯追伸

ビジネス書の書評も時間があればやっていこうと思います。

もし可能ならば、企業のマネージメント分析も。こっちは本当に時間ができたらで!笑

春が近づき、皿の上も華やかに

今日、スーパーに行くと、春キャベツと新玉ねぎが目に付いた。

 

少し前、よく行く立ち飲み屋で出してもらった野菜スープを思い出して、春野菜?でポトフ的なものを作ることにした。

 

そして、なかなか安い鶏胸肉を発見。

こっちはニンニクとネギとオリジナルソースで、ヘルシーな鶏ハムを作ろうかなと思う。

 

なので、今日の晩御飯は

 

春キャベツ、新玉ねぎ、人参、マッシュルーム、ミョウガとあらびきウインナーで具沢山スープ

 

 

甘辛醤油鶏ハム

 

これで食料に二、三日目は困らない。

 

大学生になってからというもの、こうやって料理をして自己満足に浸る時間は大切な癒しになっている。

 

人間はなかなか成功しない大きなことに悩んでいる時、小さな成功があると安心するらしい。

 

大きかろうと小さかろうと達成感は得られるのだ。

 

就活で忙しいのだけの、料理だけは定期的にちゃんとしようかなと思う。

 

そして、料理ができることは意外と女の子ウケがいいのだ。

 

大学に入って初めて気がついたこと。。。

 

下宿生だから必然的に自炊する。さすがに、毎日外食できるほどお金に余裕はないし。。。笑

 

めっちゃめっちゃモテる。

なんてことは全然ないんだけど、料理を作ったら喜んでくれるのは嬉しゅうございます。

 

女の子が来る時は、ちょっと奮発していいもの作ってしまうあたりが、なかなかにダサいのだ。。。

 

けど、食材選んだり、何作るか考えたりする時間は自己満足ながらカッコつけながら、なかなか幸せ笑

 

他人のために頑張る!なんて言ったり思ってみてるものの

 

客観的に見ると自分が楽しむために一生懸命なのだ。

 

誰にも迷惑かけないし楽しいしいっか!と思った日曜日昼下がりのスーパーでした。

 

一週間のインターンも終わり、やっと一息。

さー。就活頑張るぞー。3月解禁こわいよー。

 

おーわりっ!