就活日記23 「自己責任論は逃げの言い訳ではないだろうか」プラスで全体最適のデメリットは?
就活中によく自己責任が大切だと言われる。
そして自己分析をして、自己成長に繋がるかといった類の話だ。
まるで本で読んだことをそのまま言っているかのようだ。
まるで上司に言われたことをそのまま就活生に右から左に流しているかのようだ。
何か課題にぶつかったり失敗した時、何が原因かを探る。
その時、この自己責任論によっている人は何をするのか。
無理矢理にでも自分の責任を入れてくるのだ。
成長したいのはいいとして、物理的な原因にその人が関与していない場合は迷惑極まりない。
本当に解決するべき原因がわかりにくくなってしまう。
例えば、メーカーと小売店がコラボで手がける店頭での販売促進があまり売れなかった。
原因は流行分析とニーズ分析が間違っていたことだとする。
ここで自己責任で「自分が悪かったです」なんて言い出したら次に進めない。
その個人を立て直すことよりも、分析をしっかりすることの方が優先されるだろう。
そして自己責任を叫ぶことによってチームの責任感が薄らぎ、チームとしての能力が下がる。
私たちの責任としてどう対処するかが大切なのだ。そのチームの流れの結果、自己成長につながるだけの話だ。
チーム全員が自己責任感を持てばいいなんていうのも違うと思う。
それでは全員が自分自身を主役だと勘違いしている組織なだけである。
失敗も成功も自分のものなはずがない。全ては複合的に絡み合った状況の産物なのだから。
もしかしたら個々の能力が上がるのかもしれないが、その代償の失敗の数と時間を鑑みればドヤ顔で成功談を語れるはずがないだろう。
普通の愚痴になってきたが、もう1つだけ言わせてほしい。
部下に「お前の責任だ」「お前が悪い」「何でできないんだ」なんて言う上司である。
この上司がだいたい部下に自己責任論を抑え込んでいるのだが、上司の言動は矛盾している。
自己責任ではないのだ。
もし自己責任だとするならば、部下ができないのは自分のせいなのだから。
「教えるのが下手な自分が悪い」「成績が上がらないのは自分に原因がある」「部下のやる気が出ないのは自分の関わり方に問題があるからだ」
とはならないのだろうか。
都合のいい時だけ自己責任。
よくないときは他人のせい。
こんなことばかりしてるから、問題の本質が見えなくなる。
自己責任とか言う言葉もやめて、本当に状況に対しての問題は何だったのかを見つめるべきではないだろうか。
物理的かつ具体的に。
◯追伸
よく説明会などで「部分最適は良くない」と言われる。いかにして全体最適を作り出すかと言う話になる。
少し都合がいいような気がする。
部分最適はデメリットばかりを述べられ、全体最適はメリットばかり。
部分最適のメリットは何で、全体最適のデメリットは何かを具体的な事例で示してほしい。
ちなみに、全体最適の歴史的かつ具体的な事例は全体主義だ。ヒトラー時代のナチスや戦時の日本はいわゆる全体最適だろう。
逆らえない提案できないの状況になるのだ。
そして現代的には上の言うことは絶対であり、自分の組織に合わないような意見は言いにくいと言う状況にも繋がる。
もしくは自分の意見が無意識に企業の枠組みに合わせてしまっている状況だ。
これで本当にイノベーションなんて起こせるのか。と問いたくなる。
就活日記22 「面接と面接の梯子〜プラスで団塊の世代の矛盾にたいして物申してみた〜」費用負担を就活生に押し付けるのは公害ににている?
明日は朝から面接。
さらにそこから移動時間1時間のところに移動し、すぐに面接。
呼び時間も少し入れてギリギリの時間での面接梯子だ。
エントリーシートも最初に出そうと考えたところはある程度終わり、面接がメインになってくる時期だ。
今回はなんとか時間の都合がつく。
忙しいきついと言えるほど余裕のある状態だ。
タイムスマネージメントさえ上手くできればいいのだ。
しかし、これが面接が被るようになってくるのだろう。
面接日時をずらしてもらえたらいいのだろうが、そういかないときは忙しいの声なくどうなるか分からない選択を選ぶのだ。
一番怖いのは、どこかの選考で携帯を触らない時間に他者の次選考の連絡が来ることだ。
これで一番乗りを逃すと、早い者勝ちで面接日程が埋まっていく。そういう形式のものはなかなか日程をずらしてもらえない。
日本の新卒一括採用よ。何がしたいのだ。
採用とは企業に合う人をしっかり見定めることではないのか。
そんなに特定の期間に集中し、未来の労働者たる学生に選択の余地を制限し、精神面だけならず移動費という軽そうに見えて大きい出費になる負担を押し付ける。
それでは学生のポテンシャルを引き出せない採用活動になっているではないか。
◯追伸
東京が選考会場の企業がいくつかある。
その度に東京に行っている。
前後の日程が詰まっていることが多いので、必然的に新幹線や飛行機が多くなる。
自分の住むところと東京の日帰り往復は約三万円。
東京での選考が被らないことも多い。東京と東京の間で大阪本社選考が入ったりするのだ。
説明会含め次が三次選考のところは現段階でその企業だけで九万円。すごく行きたいところだ。
次の選考でも補助が出ないのでその企業だけの移動費で十万円を超える。
社会のばかやろう!と叫びたい。
就活に向けて貯金している人もいる。しかし、このベースで使うと都市部に住んでいないと合うだけで月に何十万も出ていく。
「貯金一瞬で無くなって、おやにしゃっきんしまくってるわ」と言った学生の言葉が頭から離れない。
普通に単位を取っていけば大学四年生なんて講義にほとんど出る必要がない。しかし学費は従来通り。
交通機関の学割もあるけど上限がある。
四年生の時の学割もくらい半額になっても文句あるくらいだ。
企業も企業の社会的責任と言いながら学生にCSRを強調するのならば、学生が就活しやすいやうに移動費をしっかり支払うこともCSRではないのか。
たくさん応募があるから移動費を出さないというのは、汚染物質を垂れ流さないようにすると費用がかかるからという論理と似ている。
社会に汚染物質を押し付け公害を起こして非難されたように、就活生に負担を押し付け耐えられない人が出る。
今の就活生への扱い自体が、現代社会の労働問題的観点から見る企業活動から起こる公害ではないだろうか。
塾に行って進学して、高い学費で奨学金漬けになって、就活で資金繰りに困り、今流行りのブラックバイトで身を削りながら、人生を走る。
ゴールはあるのか?
就職をみんなができるわけでもなく、思い通りの企業に行ける人はかなり少ない。賃金が膨大な残業代に支えられているところも多い。
新卒3年以内の離職平均は三、四人一人。
鬱になる可能性も高い。企業に入ってからは生き残りをかけた競争がまた始まる。
内定というゴールの中にある楽しく生きていくというゴールはさらに狭い。
よく言われる楽しい人生なんて宝くじよりは当たりやすいなってくらいだ。
そのうち学生や若者から暴動起きるぞってくらいの状況だ。
その現場を正確に理解しない高度経済成長期やバブル期のぬるま湯に浸かりながら成功したかのように錯覚している歳上は私たち若者「だからゆとり世代は」と言って蔑むのだ。
やってられるかこのやろー!
しかも成長期にいい職について今に至る人は自分がすごいからこの立場にあると考える人が多い。
違う。違うよ。
あなたたちのようにデスクに座って商談してと頭と口ばかり動かしてた人間の決めることを
低賃金で建物を建てたり物を運んだりと支えて来た人たちがいるから成り立ってるんだ。
同世代の汗水垂らしなんとか生きてきた人たち、時代の矛盾に苦しむ若者たちをバカにしてると痛い目みるぞこのやろー!
それでいて年金分頑張ってる働けだってよ。
自分は「おれらの年金のために若い君たちが頑張ってる働いて子ども作って働いて。。。」ってばっか居酒屋で見知らぬおっさんに説教される。
この社会を作った
この構造になるまで放置し続けた
世代の人たちの尻拭いを本人からしろと命令される。
理不尽極まりないわ!
そういう人たちに「勘違いで動かず、合理的に客観的に考えることがたいせつだ」
なんて言われると、あなたたちのことですか?
って言い返してしまいそうになるから、勘弁してくれ。
就活日記21 「丸二日の休日すら怖い」
世間はいわゆるゴルデンウィーク。
連休の人もいれば、少し間に出勤がある人もいるだろう。
就活はどうか。
バシバシ日程入ってる。さすがに人事や面接官も休んだ方がいいんじゃないのかと思ってしまう。
というのはさておき。。。
丸二日説明会も選考もなかった。
エントリーシートも逼迫してるものはなかったので、本当に久しぶりにこの土日をゆっくりできた。
いろいろ遊んで、かなりいい休日になった。
けど、ふと考えてしまう。
あれ。こんなに余裕のある時間があって大丈夫なのだろうかと。
内定もまだ出てないのに!
休むとかは休んでやるときはやるってのが理想なんだけど、ここ2ヶ月ずっとあっち行ったりこっち行ったらで就活していたから、落ち着かない気持ちになるのも止むを得ないのだろう。
実際ゴルデンウィークも、その後も予定はあるのだからこの2日間があまりにも特殊で逆にあたふただった。
ゆっくり休んでしまうと、次の初動が鈍くなりそうという不安もあるのだろう。
んー。と言ってても面接の日は決まってるし、焦らずしっかり本番に向けて準備する。
そのうち落ちすぎると、日程が開くのが怖くて常に選考入れないと不安でしょうがなくなったりするのだろうか笑
いわゆる、持ち球的な発想になるのかもしれない。
んー。そういうやり方になればなるほど、1つあたりの集中力も落ちそうなので、できるだけ丁寧にやってく。
久しぶりの楽しい日々が怖いなんて思わなくていいように、進みたい。
少し息抜き いちご100%の新連載から見る昔の自分
ついに『いちご100%』の新連載が始まった。
ジャンプGIGAだったかな。新しく創刊したらしい。発売日は今日。
クリーニングに行くついでに買わねばなるまい!
いちご100%は自分が小学生の頃、少年ジャンプで連載していた恋愛漫画だ。
絵が綺麗で、時々下着のチラリズム。
思秋期に入る直前の自分を思春期に引きずり込んだのは間違いなくこの漫画だ。
小学生の頃はいちご100%を読んでいるだけでエロ扱いされていた。
だから、自分は必死に隠した。
今思うと不思議だ自分も含めみんな読んでいないと言うのに、タイトルも内容も知っていた。
結局、高校生になったくらいに、男はほとんど隠れて読んでいたことが判明。これぞ連帯だと言わんばかりの団結力が生まれた。
もう一つ、自分の思春期を進化させた漫画がある。
そうそれは『ふたりエッチ』
これはそんないやらしい漫画ではない。
童貞と処女の2人がお見合いで結婚。2人で力を合わせてセックスについて学び実践していくストーリー。
イメージとしては普通の夫婦生活で性交の場面もそれで悩む場面を中心に話を進めている。
この漫画と部活の先輩の二つのアクターが自分の性知識を育んだ。
正直、田舎に住んでいた自分は性知識もある媒体も少なく、自慰行為すら知らない自分はここでオナニーという言葉と方法論を覚えたのだ。
セックスを漫画だけど初めて見たのもこの時だ。何が起きているのかよくわからなくいにも関わらず、ひたすらムラムラしてしまった。
ワンピースのナミに変身し服をはだけるMr.2を見ただけで何だかムラムラするようにまでなったのだから、ふたりエッチの力は絶大だったのだ。
ちなみに今はワンピース読んでてもなんとも思いません。
この漫画はいちご100%と違ってみんな読んでたと言えるまで少々時間がかかった。
そもそもセックスをする場所がない田舎者の自分たちは多くが童貞。そういう話も実践者以外は妄想でしかないのだから。
結果、連帯できるようになったのは、高校三年生か大学に入ってからだった。
こう思って見るとこの二つの漫画には自分を成長させてもらった恩がある。
ふたりエッチは確かまだ連載中だ。
いちご100%が再連載となると応援するしかない。
よし。ジャンプGOGAを買いに行こう。
◯追伸
中学生のある時、母親が自分の部屋を勝手に掃除した。
自分はいたるところに、いちご100%とふたりエッチを隠してきたのだが。。。
全てベットの上な出されていた。あの時の屈辱は中々忘れられない。
就活日記20 「世間は春だ。私は春が来ているのか?」
最近、毎日が就活でなかなか更新できていませんでした。
途切れ途切れだけど、なんとか「就活日記」も20回目。
自分にしては意外と続いているなという印象かな笑
と本題本題!
就活を始めた頃、会場で邪魔になるにも関わらず、寒くてコートを着ていた。
今は桜も散り、春の暖かな日差しと爽やかな風の中、何をするにも過ごしやすい日々だ。
就活と花粉さえなければと叫びたくはなるが、梅雨に入るまでの僅かな快適すぎる時間を謳歌している。
エントリーシートを出しながらの面接は依然続いている。
しかし、説明会はある程度なくなり、面接の割合が増してきた。
いくつかの企業は面接も進んでいる。ただ内定に繋がりそうかというと、主観的にはいけてる!と思っていても客観的状況はそれを許さないだろう。
決めるのはどんなに頑張ろうと企業なのだから。
最終面接に行っても、人を雇うという最高峰の人事権を行使できるのは役員である。
どんなに人事や面接官が押してくれても、そこでやっぱ違うなと少しでも思われたら負けだ。
あー。こんなこと考えていると自分には春がなかなか来そうにないなと思う。
もしくは春が来ているのかもしれない。春は妄想と理想と期待に満ち溢れ、現実とのギャップを認識していく季節なのは事実なのだから。
あまりにも就活は理不尽な現実だから。
自分が説明会にも行かず、ESも瞬時に適当に終わらし、テストもサクッとやった企業がある。「みんしゅう」では第一志望でインターンや説明会、ESとその企業のために多くの時間をかけた人が落ちたと報告する。なのに何故か私は通っている。
企業は何を見ているのか本当によくわからない。
企業愛は文章やイベント参加で測れるだろう。
優秀さ?そんなものは何度も話して初めてわかるものだ。
人事部用のセミナーでこういう学生はこうだ!みたいなことを教えられてそのまま実践している人事が多いのであまりにも選ばれる側としては不安ばかりだ。
今は他人事のように話している合否。しかし、これは自分事でもある。
受かった人や決まった人が得意げ、偉そうにしてしまう背景には他人事を自分に置き換えて考えられないからではないだろうか。
今の社会では他人の視点から物事を見ることが求められる。
消費者や相手企業の商談相手の気持ちを理解できない人が優秀だとは思わない。
ならば、他人に思いを馳せれず、得意げに自慢話を振りまく内定者がでるということは、その企業の見る目はその程度ということなのだろう。
もしくは他人の視線に立つことを本質的には求めていないのかもしれない。
なんて、なんかひねくれたこと書いた。
こんな感じで面接行ってるといつか落とされるから気をつけよう。
けど、考えてることは変わりそうにもない。もしも自分が内定をもらったとしても笑
就活日記19 「私たちの働き方とヨーロッパ」
毎日就活で、面白いことを聴ける楽しさ反面、もうその答え聞いたしと思うことが増えてきた。
今日は少し働き方について考えてみたので書いてみる。
ある銀行の面接でのこと。
「君は同級生より遅く入社することになるから、そのぶん遅れている。他の人は社会人としてのスキルをどんどん付けて行っている中、どう埋めあわせる?」
なんて質問をされた。
ここの行員は労働時間外で資格の勉強に勤しむ文化がある。ある程度の年齢の方だとビジネスに使えるスキルの宝箱だ。
「自分の入社が遅れている期間は無駄ではない。友人が知識としてのスキルと社会人の枠組みを学んでいる間、そこでは学べないことをしっかり学んだ。働き出したら嫌でもそれを叩き込むのだから、追いつけ追い越せの軸とは違う軸があるので、自分なり埋め合わせをしていきたい」
なんて言いかけた。けど実際は
「寝る間を惜しんで資格の勉強を行い、よく本を読むのでそれも継続しながら追いつきたい」と答えた。
面接官はなかなか満足している顔だった。
一応、その面接は受かった。
その日の日経新聞には、銀行の労働者一人当たりの生産性の違いが載っていた。ヨーロッパはすごく高い。日本はアリみたいなものだった。
今回の面接で求められたのは仕事への熱意と必死で成長する性格だった。
どこの会社も「しんどいけど、頑張れる?」と聞いてくる。
ヨーロッパは日本よりたくさんの休日があり、取得率は100パーセントが多い。もちろん定時に帰って家族団欒。
働いてる時間も、仕事に対しての熱意も全てにおいて歴然とした差があるかも関わらず、ヨーロッパの生産性ははるかに高い。
正直、情報だけ見ていると日本の働き方が間違っているのだと考える。
働き方改革?そんなものはまやかしだ。効率良くなるだろうけど、仕事第一主義は変わらない。
テレビでヨーロッパの人が「僕たちは仕事をするために生まれてきたわけではない」
と言っていたのが頭をよぎる。
プライベートを充実するために仕事をするからこそ、生産性が高いのではないだろうか。
日本は仕事を頑張るためにプライベートがあるようなものだ。てことはプライベートの生産性がいいのかな?笑
脈絡のない文章になってしまったけど、これで終わります!なんとなく思ったことをメモった感じ!
労働時間が気になる人は「OECD 労働時間」って調べて見てください。
どんだけ日本が生産効率悪いのかがよくわかります。
就活日記18 「忙しい!ほんまに忙しい!忙しさよ止まれ」
少しバタバタしていて投稿が止まってた。
ある企画に参加してみて、優秀な人が揃う中でも通用することと、あまりにも自分のレベルの低い箇所が露呈した。
自分の通用するところはしっかり磨こうと思う。
弱点は少しずつ補ってく。
頑張ったからといってすぐに良くなるものは、弱点ではないのだから。
よーしやるぞ!いろんな人に刺激もらって、だいぶやる気出た!
明日は選考1つに、エントリーシート2つ。
なかなかタイムマネージメント難しいけど、なんとかする!
少し短めだけど今日は以上です!