新卒日記 1
久しぶりの投稿になります。
入社してもう少しで2ヶ月が経とうとしています。
今までにきたことない土地に来て、不安もいろいろあったのですが、なんとか体調も崩さずやれています。
3月の末に寮に入り、
座学や工場見学、グループワークなのどの研修があり、
連休明けからは工場の三交代勤務に入っています。
三交代をあと1ヶ月半ほど続けて、
また教育を1ヶ月ほど受け、
8月1日から配属となります。
同期や先輩に恵まれ、楽しく過ごせています。
さすがに三交代勤務はやったこともなかったので0時から8時の夜勤はしんどいものがありました。
現場の働き方を体に叩き込むことと
夜勤手当という誘惑の両輪が今のモチベーションです。笑
まとまったお給料をいただくというのは本当にありがたいです。だからこそ、給料に見合う人間になるためにも、いろいろ教育を受けています。
ただ、なんとなく思うのは、雇われグセが変についてしまわないかなということです。
うちの親族はみなさん良い企業に勤めていて、役職もいい人たちが多いのですが、
「会社の看板がなければ、自分だけではこんなには稼げない」とよく言っています。
様々な能力を兼ね備えても、それはその企業とその他近しい範囲でしか通用しないということです。
なので、不規則な動きを見せる経済下で、自分の企業がずっとあるとは思いません。
そんな時、自分の力でもなんとかなるように、少し会社での学び以外の学びを取り入れていこうと思います。
◯追伸
配属がまだ決まっていないので本当にドキドキです。
就活日記51 「内定もらえて本当によかった」
ご無沙汰しております。
もう何ヶ月も日記を更新できいませんでした。
ずっと更新はしていなかったのですが、8月の下旬に内定を頂きました。
報告が遅れて申し訳ございません泣
心配や応援してくれた方々、本当にありがとうございます。
ぼく、何とかなりました!笑
今月、10月初旬に無事内定式を終え、何とか来年度からは働けそうです。
記者になりたくてなりたくて、8月下旬の内定のも地味に就活を続けていました。
大手全国紙の秋採用も進んではいたのですが、残念ながら3次選考でお祈りメール。
ここまで落ちるとある意味諦めはつきました。もしかしたら、内定を頂いた企業の本社が東京なので、東京配属がありえます。
新聞社の面接には時間給を使用して受けにきている社会人の方もいたので、そのような悪あがきをまたしようかな、なんて思ってみたりもしてます。
それ以外でも、今自分が書いているブログのように、誰でも情報を発信できる時代です。
やりたいことだからこそ「書く」ことを仕事にできなくとも、続けていこうかなと思います。
少しできた休みにどこかに出かけて、見て聞いて感じたことを文章にする。読んだ本や自分だ体験を文章にする。
様々なことに可能性は開かれているからこそ、前向きに進んでいきたいです。
そして、今回内定を頂いいた企業には本当に感謝です。学生を伸ばしてまで記者を目指している人間を取ってくれて。
転職が当たり前の時代、自分自身にも他にもやりたいことはあり、大切にしたいこともある。もちろん時代の流れと同じように、自分自身、ずっと同じ企業で一生働くなんて考えていません。
そんな中でも何かしらの形でしっかり恩返しをしたいと思っています。
。。。なんて言ってみました笑
そんなこと言っても、自分はただの労働者で企業の利益のために動くネジの1つであることには変わらないんですけどね笑
あんまりそういう、受動的な考え方は好きではないので、純粋な感謝はここまで!笑
本当にありがとうございます!
○追伸 「ブログタイトルについて」
就活が終わって日記のタイトルに違和感を感じました。
浪人してまでも挑戦した記者という仕事に就けませんでした。しかし、食いっぱぐれる可能性が格段に低い企業に就職することができました。
ただ、就職は人生の到達点でも何でもありません。暑い中での長い長い就活を中島みゆきの歌詞のように「あんな時代もあったねと」で終わらせたくもありません。
今の所、このブログはこのタイトルで続けようと思います。旅行記も書評も評論も料理も、このブログにノンジャンルで投稿していこうかなと思います。
苦しさをしっかりと土台に置き、苦しみをしっかりと認識しながら、忘れずに、これからも歩き続けようと思います。
なぜなら。就活は毎年行われる。毎年新しい人たちによって。ならば、毎年、苦しい思いをする人が出てくる。
苦しさの再生産があることを忘れなくないのです。
何はともあれ、続ける方向でいこうと思いまーす!
おーわりっ!
就活日記50 「50社近く落ち、情けなさに襲われて〜就活での失敗続きは人をさらに卑屈にさせる〜」
記者職の二次募集の季節に入った。
今は他の企業を色々受けまくっている。
スケジュール帳のにらめっこする。数えてみると総計48社も落ちていた。
そんな中、久しぶりに大学の友人からの電話。
就活を心配してくれてたようだ。
記者職は全部ダメだったと伝えると、今は何してるんやと聞いてくる。
慰めてくれるのかなあと思い、「いろんな企業受けてるよ」と返すと「そんな君が見たいわけじゃない」と怒られた。
「バカのくせに社会のことを考えて得意でもない本を読んで語って、どうにかいい社会にするために時代に一石を投じるような文章を書いている君が見たいんや」
と友人は語気を強め語るのだ。
立て続けに「総合職なんて向いてないし、もしどっか受かって工場の管理したり、営業先でヘコヘコしたりするお前なんて見てられんわ」
なんて言うのだ。
嬉しさと情けなさが同時にこみ上げる。。。
それだけ、自分がやりたいことをやることに対して楽しみにしていてくれているなんて思いもしてなかった。
けど、どうしても情けなさが勝ってしまうんだ。
やりたいことをやる資格を勝ち取れない自分がいる。
最終まで行って面接直前の「あと1つだ。気を抜かずに行こう」の数時間には「結果が来ない。どうしよう」と慌てふためく自分になっている。
さらに情けないのは、どこか内定をと思って受けた企業に落ちるあたりだ。
滑り止めだと思って受けてるから、こんな結果なんだと心を入れ替えて受けても、これまた落ちる。
内定率は上がり続ける中、今の内定先に満足せず上を目指して再度就活を始める人がいる中で、ぼくは内定がない現状だ。
もう情けなさすぎて、さすがに泣いた。
カッコよく泣けたらいいのかもしれないけど、悲しいから純粋な情けなさからくる涙だ。人間そう言う時はメソメソ泣くのだ。
みんな言う。どこかの企業で学生同士の話の中で、志望は記者だと言うと「向いてる!いそう!ぽいよ!!」って。
でも新聞社や出版社の最終面接では「私たちは優秀な人材が欲しいからね」なんて言われて落ちたりする。
友人たちはみんな、ぼくが記者になることを楽しみにしてくれていたり、望んでくれていたら、応援してくれていたりと、必要としてくれているし認めてもくれている。
けど、企業に認められないのでは、飯を食っていけないのだ。
いきなりフリーライターになる技術もない今、就職するしかないんだ。
そんな話をすると大勢の人は「受かってなくても、何か絶対にしたいっていう志があることはすごい尊敬できる」なんて言うのだ。
別に誰かに「すごい!」なんて言って欲しいわけではないし、その言葉がより一層自分の現状を切なく感じさせるのだ。
成功者が語る失敗続きの日常を耐えた志は確かにすごいと言われるだろう。
心意気だけすごい人を凄いと言うだろうか。そんな人がテレビに出てたらネタにしかならない。
やりたいことをやれる人はいる。
やりたいことのために滑り止めを取れる人もたくさんいる。
やりたいこともできないし、やりたくないこともできない人はどれくらいいるんだろうか。
こんなくらいで凹むあたり、自分の無駄なプライドの高さが光っている。
けど優秀でないってことを、うちに入らない人間だということを、叩き続けられすぎると凹んだっていいじゃないかと思う。
バラバラに砕けて散った自信のかけらを集めながらも、今度は違う事象に立脚した自信を作り出さないといけない。
同じものを作ってしまうと、また同じことを繰り返すだけだから。
◯追記
本当に自分のありのままで、内定をもらえる人はたくさんいる。
考え方がヒットしたり、雰囲気がヒットしたら、喋り方がヒットしたり、愛社精神がヒットしたら、経験がヒットしたり。
自分は何もヒットするものがないのだろうか。。。なんて思うしかない。
記者職で自分の視点を言ったら引かれるのだ。特に面接が進むほど。
「資本主義が貧困や格差の大きな原因だ」なんて答えてしまうのだから。
嘘をつくしかない。けど、貧困や格差を考える上でこの話題を語ることこそが理論を無視した都合のいい論理だと思ってしまう。
他の企業を受けるときは、第一志望ではないという意味と経済活動ごどれだけの多くの非正規労働者に苦しい思いをさせているか。なんて思ってしまう。ここも嘘をつくしかない。
記者職以外でいいなあって思う企業もたくさんある。けど、経験を喋るときに野宿者支援だと言った瞬間の微妙な顔。どう取り組んだかと聞かれてもどうしても企業の性質に反対するものが入ってしまう。もう少しうまく誤魔化さないとなあ。ってここでも嘘をつくことになる。。。
そして、相手の面接官が働き方改革でいかに外国人労働者や非正規労働者を有効活用するかと語るときに、自分でもわかるほど笑顔が引きずる。
ぼくは嘘をつくのが上手くはないし、全て嘘で固めてると息苦しい。
かと言って、嘘を全くつかないと受け入れてくれる可能性が消えることも十分理解している。
人生とはこうまでも嘘をつき続ける必要があるのだろうか。
自分に嘘をつき続けると、自分はその嘘に応じて変われるのだろうか。
思ってることや言動が、どこに言っても受け入れられるような人間だったらよかったなあ。
ってそうなれるように頑張るしかないのかな。
個人は社会関係の中に規定されたものだ。なんてよく言ったものだと思う。
そうなるしかなく、そうしないと生きていけない。
なんか今の自分になるための全ての事象に失礼な気がして、自分を変えようとすることが、これまた情けない気持ちにさせるのである。
就活日記49 「私のスーツ、他のスーツ」
ここ数日エントリーシートの提出が多かった。
今日は久しぶりの選考で、スーツを着て外に出た。
もう直ぐ七月ということもあって、スーツが内定出ていないことの烙印のように感じで、暑さの汗以外の汗も混じる。
オフィス街の駅に降り立つと思ったよりもリクルートスーツの人たちがいる。
中には内定持ってる人や早めに就活を始めている学生もいるのだろう。
けど、そうではない人もいるのかなと思うと少しだけ心が和らいだ。
落ちてばっかいると自分は世界で1番不幸なやつだ!なんて少しは思ってしまうものだから、卑屈だけれども、同じ境遇の人がいるからこそまだ頑張れるのかな。
よーし。明日は東京だ。
朝に予定を入れたので、始発で電車に乗って大阪から向かう。
お願いします。東京でどうか通勤ラッシュにあいませんように。笑
就活日記48 「猛進の空白地帯」
六月が終わろうとしている。
空は今になって梅雨入りに気づいたかのように雨が降る。
ぼくは面接も筆記もないこの季節に、せっせとエントリーシートを書く。
面接がたくさんなら、雨に降られながら会場に行かないといけない。
ESはかなりパツパツに締め切りがあるけど、雨に濡れなくていいから少し、ラッキー!なんて思ってみたりする。
普通に就職が決まっていたら「雨のせいでテンション下がるやんっ」なんて言っているのだろうから、自分の置かれた状況で人の心持ちは驚くほど変わるのだ。
面接ないからゆっくりしてるわけではなくて、屋内で文章を書くのに忙しい。
机に向かうことが多いから色々考えてみた。
自分を企業が気にいる人に変える努力が実っているか。
実ってない。というより非常に違和感を感じる。実りたくないと言った方が正しいかもしれない。
また考えてみる。じゃあどうしたらいいのかと。
ここで意外と吹っ切れた。私は私だ。周りの人は「よく話す」とか「面白いアイデアを思いつく」だとか言ってくれる。
あとは「いろんなとこ行って真面目に活動してる」「デリカシーがない」「喋るのがうまい?」なんかも言ってくれる。
よし。このままで行こう。
自分を変えるのはやめた。今までの困難や課題は行動と喋りで乗り越えてきた。
ここにきて頭を縦に振りながら笑顔を振りまく人にいきなりはなれない。
ならば自分の「相手をその気にさせる」というところを磨くしかない。
「おっ?こいつおもしろいな。なんか雇ったら儲けれそうや!」と思わす方向でいく。
育ち方なのかなんなのか、相手の目を見てどんなこと考えているんだろうといつも気にかけている。なので、自分の意見を突き通したい時以外は、だいたい他人に合わせて喋る自分の個性をうまく生かしたい。
面接現場を観察して、相手を見ながら、相手の企業にとって相手の面接官にとって的外れな回答ではなく、なおかつこいつの言ってることを実践して見たら面白くなるかもと思ってもらえるようなプレゼンをする場として向かって見たい。
そう私は商品だ。
労働力という商品だ。
面接官や企業から見ると、労働市場という、スーパーに並んだ商品の1つなのだ。
お金を出してまで欲しい商品とは何か。
無難なもの。安いもの。今まで失敗してこなかったもの。おもしろいもの。
なら、おもしろ枠でお勧めさせていただきます。
まだ社会人じゃないけど、営業職になる可能性が高いのだ。
いまから自分という商品を売り込んでくる。
沖縄戦の終わった日
今日6/23は沖縄戦の終わった日だ。
70年もの年月が経っても未だ犠牲者はいる。
親族が亡くなった人がほとんどだろう。
ニュースでは沖縄戦の語り部の高齢化と、通常の学校教育の中でどのよう平和学習を取り入れるかが報道された。
沖縄の教師は忙しい。他県の教員の業務に加えて沖縄戦を含む戦後学習を多く取り入れるからだ。
これは甚大な犠牲を被らされたからこその信念だ。
そんな中でニュースでは沖縄の偏差値の低さが取り上げられた。。。
何を言うか。
彼女ら彼らは数値に現れないものに時間をかけているのだ。
学力の低さを問題化することこそが問題だ。
沖縄出身の友人は何にもいる。
とてもとても優秀だ。
学力ではななく、自分で学び自分で考え自分で結論を出すことが他の学力重視の教育を受け続けてきた私たちより優れているのだ。
彼らは犠牲を受け入れ、戦争という社会という不条理に悩み考えている。
だからこそ、数値化されない方があるのだ。
何だか、必要だけど数値には現れない教育をどうなんだなんていう本土の私たちの感覚を直さないと、これから団塊の劣化コピーしか出てこなくなる。
私たち「ゆとり世代」武器は主体的に考え能動的に行動することだ。
本来なら沖縄の教育に学ぶべきなのではないだろうか。
就活日記47 「メンタルが強いのか弱いのか」
メディアという第一志望群が全敗を喫し、それ以外の企業だけになった。
新聞社は二次募集をかけるところも多く、募集がかかったところは受けようと思う。
しかし、新聞社以外のところもそれなりに落ちて、病みそうなところなのに、まだ病んでいない。
理由を少し考えてみた。
単にメンタルが強い
一生懸命と思いながらも限界値までいってない
何事も自分に都合よく捉えている
落ちることに慣れている
なんて、まだいくつも挙げられる。
どれが正解というわけではなく、全てが少しずつ正解なのだろう。
鬱になるほどの全力を出し切っていなくて結果がついてきていないのであれば、ある意味自分のメンタルの弱い側面だ。
こういうことでは全く病まないや、楽観的に捉えてストレス社会を器用に生きる側面は、ある意味メンタルの強い側面だ。
どっちが大切とかではなく、どれがいいとかではなく、ただ自分がそういう性格や精神の持ち主であるという事実でしかない。
根本にあるのは生きてさえいれば何とかなるやろ!なのかもしれない。
記者ならともかく、それ以外のところで鬱になるほどの努力をできないのは、プライドなのかもしれない。
何はともあれ、内定がない状態なのだ。
全てにおいて悩むよりも、どうするべきかと前へ向かうベクトルの中で考えたい。