偏見としての「ゆとり世代」
居酒屋で年配の方が騒いでいた。
ちょっと、その時の言葉を羅列してみる。
「ゆとり世代って本当にクソ」
「あいつら社会人舐めてる」
「すぐに鬱になる」
「一杯目はビールだろ普通。ウーロンハイとか頼むやつ黙れよ」
「これくらいで、何がパワハラだ」
「草食系ばかり」
「携帯二年経ったのに変えないんですか?なんていちいち聞くんじゃねーよ」
「なんでですか。なんていちいち聞くんじゃねー」
これを少し離れたところで喋られると、自分に言ってるようにしか思えないほどだった。
なんか耳を傾けていて、率直な感想を。
偏見が強すぎる。そして、内容がゆとり世代かどうか関係なさすぎる。
こういった話をよく居酒屋で耳にする。
んー。違うなーと思う。
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そもそも、一杯目はビールである必要はない。自分は好きだけど、嫌いな人が無理して飲む空間なんて普通はその方が気分悪いのではないだろうか。
鬱になりやすいのは確かだ。けどそれはすべての人間に言えること。今の社会構造で騒いでた人が同じ教育を受けて会社に勤めると確実に鬱だろう。こんなに根拠のない攻撃性を持っていたら鬱ですめばいいレベルだ。
パワハラは肯定しない方がいい。パワハラやパワハラまがいの手法に頼る人間は、それ以外で人を動かす力を持ち合わせていないからだ。
草食系ばかり。それは人によるだろう。そして草食系だから仕事ができないとはなんら関係がない。
携帯の話されただけで怒るのは普通におかしい。
社会人舐めてるについては、この人自身への態度が気にくわないらしい。聞いてる感じ社会人を舐めているのではなく、その人が舐められていると感じだ。
そして、何故という理由や根拠を聞くことを否定してはならない。逆にこれを聞かない人や意識できない人はビジネスにおいてあまり主体的に動かない人だ。上意下達で言われたことのみを遂行する。兵隊でいいならいいが、それで指揮官ぶるのは間違っている。
「ゆとり世代」とひとかたまりにするが「ゆとり教育」とは何なのか知らなさそうだ。いきなりゆとりになったわけではない。高度経済成長期の詰め込み教育から、政府は徐々に教育の内容を変えてきたのだ。なので、実は結構な年代の人まである意味での「ゆとり世代」なのだ。それを知らないあたり、勉強を怠っている「ゆとり世代」なのではないだろうか。
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というのが自分のその時の感想である。
自分も、ぐちぐち反論を頭の中で浮かべてるあたり小さい人間だ。けど、自分が叩かれたような感覚になったから、これくらいは言わせてくれー!と思った笑
ってそんなことを言いたいのではない。
言いたいのは、彼がこんなに攻撃的に語る背景である。
家に帰らず一人で酒を飲み、なかなか子どもたちの教育費も厳しいらしい。仕事もうまくいっていないらしい。
だからこそ、何かをひとまとめにし、攻撃するのだ。
歴史を辿ると、どんな時代でも人間は自分より下の集団を作り、叩くことによって自分たちを保ってきている。
それほど彼の置かれている状況はしんどいのだ。攻撃をする必要はない。けれど、攻撃的にならなければ自己保存できない。
誰かより自分は優れている。
誰かよりはマシな人間だ。
そんな抑圧しなければ耐えられないほど、今の社会構造は個人個人に負担をかけている。