「人格否定」では何も進まない

 

友人と些細な話をしていた。

ファブリーズは有用かどうかという、本当にどうでもいい話だ。

 

そうしていたら、少しずつ話が熱くなっていく。

 

お互いがお互いに引かないところまで来てしまった。

 

ここで相手の言っていることを認めると敗北感がすごい。って瞬間てあると思う。

 

それがエスカレートして喧嘩に。

 

正しさと正しさのぶつかり合いだから、自分も相手も自信満々に話す。

 

そこには相手より優っているという姿勢が出る。

 

だから自分は相手をイラつかせる話し方をしたいのだろう。。。

実際は熱くなりすぎて、自分が何言ったかなんて大半覚えてない。。。

 

けど、人間の頭とは都合のいいもので。相手の言葉だけは覚えているのだ。

 

「おれが面接官だったら、お前を絶対に落とすね。はい落ちた。〇〇社の評価軸だと絶対に落ちるね」

「全然おれのこと説得できてないし、説得される要素もないね」「はい、だから、お前の負け」

 

こんなのを言われたら、黙ってはいられない。

 

おれにそれ言うのかよ。。。と正直泣きそうになった。

 

友人は行きたいところから内定をもらっている。ぼくはなくて、就活を続けている。

 

自分が優秀でないことくらいはわかる。

けど、さっきの話はぼくの低い能力を叩くためにされたものではない。

 

相手が勝負に勝つために、言った言葉だ。

 

面接下手だよとか、伝えるの下手と言われるくらいなら反省したらいい。もしくは、ネタとして笑い飛ばせばいい。

 

けど、どうしても傷つく言葉はあるのだ

誰が好きで就活なんて何回もするんだ。しかも、就きたい職は特殊である。諦めて違うとこも考えた方がいいなんて頭が割れるほどわかっている。

 

なぜ必死でもがく状況を笑われなければならないんだ。

 

そんなことを思っていたら、バカみたいな姿勢をぼくはとっていた。

 

そう。相手の人格をぼくは否定しだしたのだ。

あまりにも腹が立って、しかも自分にもその原因はあるにも関わらず、相手のダメなとこを列挙し始める自分。

 

本当は、人格を否定するんではなく、言われたことが嫌だったと言ったらいいだけなのに。

人格を否定するのではなく、相手のとる姿勢や方法論を批判したらいいだけなのに。

自分が笑って誤魔化したらいいだけなのに。

自分が反省して引き下がったらいいだけなのに。

 

相手の個性を否定してしまった。

 

本来、議論は勝ち負けをつけるものではない。

対話の中から、より高次な領域へ共に進むための材料だ。

 

にも関わらず、自分は議論を拒否し、相手を攻撃し、潰そうとした。

 

ほんとうに意味のないことをした。

 

猛省中です。

 

 

 

〇追伸

就活をする上で面接官の合否が全てだ。

いくら友人がいようと自分なりの評価をしようと、面接官に落とされれば、自分を否定された気持ちになる。

だから、正直、勝手に落ちるとか決めつけないでほしかった。友達からその言葉を嘲笑的に言われると、全世界に否定された気持ちになるではないか。。。