就活日記⑥ 「就活相談は罵られる時間ではない」

 

3月の就活解禁日以降、大学近くのファミレスでは毎日のように就活相談が行われている。

 

「〇〇しないと落ちる」「〇〇しとけば間違いない」といった言葉が、いつ行っても聞こえてくる。

 

いつも誰でも、就活生は萎縮と不安の表情を浮かべている。相対して、内定をもらっている先輩方は非常に誇らしげに自信満々で語りあげる。

 

実際に、就活生側はいいとこに内定をもらった先輩に話を聞く。就活生の至上目的は「内定」である。できれば良い企業に。というところだ。

 

だからこそ、そういった先輩に相談を持ちかけるのだ。

どのようにスケジュールを組み、エントリーシートはどう書いて、面接での振る舞いはどうだったか。良いとこに「内定」をもらった人の成功談や経験談を聞き自分も倣おうというのだ。

 

どの企業も、ある程度人事の評価基準が近いからこそ話を聞くことに意味を見出しているのだ。

 

ところがどっこい。

 

だいたいの相談会の進み方は、方法論を少し喋っただけで、あとは精神論になる。こういう気持ちの持ち方をするべきだ!ということだ。

 

方法論に至っては、ネットや本に書いていることより少ないくらいしか喋っていない。

 

聞きたいのは方法論なのに、精神論を語る人を見るともどかしくなる。

 

おそらく、人事から見ても方法論を評価している部分も多いだろう。

だけど、多くの内定者は自分の精神論があるからこそ、受かったと勘違いをしている人もいるのだ。

 

この精神論が進むとどうなるか。

就活生の個人の性格を否定し始めるのである。

 

「お前はコミュニケーション能力が無いからこのままだと受からない」

「人と喋るのを楽しめてなさすぎる」

 

などと、聞いていても意味がわからないことばかりである。

 

 

コミュニケーション能力なんて、どの場面でどう作用するかは個人それぞれだ。二人でいるときに強い人。大勢が強い人。おとなしい人となら他の人より早く打ち解けれる人。

誰から見るか、どう見るかで形などいくらでも変わるのである。

 

人と喋るののを楽しめてなさすぎる。なんて事を言ってしまった暁には、カッコ悪くてしょうがない。だって、他の人と話すときには楽しそうにしてるはずだ。偉そうにする内定者と話すのを楽しめないだけではないだろうか。

 

 

こうやって、受かったから「自分は正しくて、お前は間違っている」と語る人は苦手だ。

 

喋ることが変わらない場合、内定があるかないかで、その言葉の意味や価値が大きく変わってしまうのでは、一貫して通用する方法など見つけられない。確かにエビデンスにはなるが。

 

罵られるため、否定されるために相談したわけではないのに、なんともしんどい時間になってしまう。

 

相談する就活生。自分もだけど。

 

その、相談相手の内定者が、今から一年後バリバリに働いて成績残しながら会社にいるとは限らないよ。

 

もし、全くダメで数ヶ月でやめてしまう人に、お前はダメだと言われ続けていたら、おそらくそれは自分自身の内定には繋がらない。

 

〇追伸

会社を辞める可能性の高い人に聞いても意味ないとか、そういう奴はダメだと言いたいわけではないんです。

就活生が理不尽を被りながらしている相談は、それほど不安定な土台の上に成立している。と言いたかったのです。

だから、絶対に納得できないことまで、信じる必要はないかなと思いました。