就活日記15 「面接失敗の責任は学生だけではない」
就活生やってると、面接のコツとか色々言われる。
「こう喋りましょう!」
「論理的に!」
「面接官の意図をしっかり読み取って!」
そして、面接がうまくいかなかった就活生は、自分の喋り方がダメだった、自分を出せなかったと反省するのだ。
この反省は大切だと思う。
次はもっと自分を出しながら相手の心を動かすように成長するということなのだから。
しかし、いつも思うのは定型文ばかりで質問してくる面接官は何を考えているのかだ。
面接とは面接官と就活生で構成される空間だ。
面接の雰囲気が悪かったり、言いたいことをしっかり言えない場合どちらにも責任があるのではないだろうか。
つまり。言いたいことは、学生から本音や自分らしさを引き出せない面接官は面接官としての能力が低いということだ。
優秀な人を雇いたいなら、目の前に座る就活生のパフォーマンスを最高レベルまで引き出せてなんぼではないか。そうでない状況でこの子を雇いたいかどうかなんて決めれない。
それは面接官が受ける採用セミナーなどでは身につくものではない。
人と話すとき、どう聞いたらこの人がベストアンサーをできるのか
どう頼んだら、ベストパフォーマンスをできるのか考えて、個別に対応して来た人のみが獲得できる能力なのであろう。
そういう責任が面接官にはあり、必要とされている能力だ。
どんな人にも引き出せは光るものがある。それを見つけられず不採用にするということは、就活生だけではなく面接官自身の能力も反省するところがある。
落とすことは引き出せてない証拠で、悔やまなければならないはずだ。
面接官は気づいているだろうか。セミナー通りのセオリー通りの質問をすることが就活生の可能性を狭めていることを。
定型的な質問が就活生の定型的な回答の原因になっていることを。
多くの人は気づいていないだろう。
だって「だいたい就活生は同じことを喋る」なんて言ってしまえるんだから。
逆に聞きたい。同じ質問ばかりしてるからじゃないですか?と。
もちろん中には人を育てることが得意だったり、能力を引き出すのが得意だった人たちは一部いる。しかし大多数ではないのだ。
そうやって採用側の能力不足を無視して、雇ってから違うななんて思う資格はないだろう。
就活生は嘘ばかりつく。話を盛る。と言い訳する。
当たり前ではないだろうか。話を守らないといけない面接システムを作った側がいるのだから。そして、人生経験が全然違うにも関わらず見抜けない方も問題がある。
面接官の能力の低さが、面接の作業感が間違いなく企業と労働者のミスマッチを招く原因の一つだ。
私を含む就活生は、この理不尽は状況でなんとか内定を勝ち取り、そして社会で生きていかねばならない。ゆとりゆとりと言われながら。
愚痴だろ?と言われれば「そうです」と言い返す。
だって愚痴も言いたくなるほど、一貫性のない矛盾した就活システムの中で茶番劇に振り回され理不尽な思いを感じているのだから。
愚痴は理由なしには起こらない。
鬱や自殺は理由なしには起こらない。
原因が明確になっていなくても見えていなくても、確実に存在しているのだ。
その原因の全てを若者や就活生に求めるのは
企業や社会人お得意の自分を見つめ直し変えていく視点が欠如している。
客観性という言葉に反している。
何はともあれ、社会の荒波で生きるのだ!
弱い立場、矛盾に挟まれた立場で苦しんだ人間こそが、強いものの真似をしない限り、最も世の中を広く観察し多くの感情を知っている人間だ。
そう言う人たちが、しっかりと矛盾を反省しながら次の社会をつくっていく。これが今求められる大切なことではないだろうか。
◯追伸
自分は大学で企画系のことを普段している。
だからこそ、学術書以外にも企画本やビジネス書、チームマネージメントの本、自己啓発本など読むのだが。。。
人事で若くして就活生にドヤ顔で話している人の内容は、そう言う本を切り貼りしたような内容ばかりだ。
本当に薄くした自己啓発本やビジネス書をひけらかされているようにしか感じない。
話し方の構造や順番を話している人がいて、会場に質問に来た。
そして自分が当てられる。もし本に書いてることそのまんま話しているとしたら「ダサさを知れ!!」と思ってこの後喋るであろうことを要点だけ全てを喋ってみた。
案の定、その説明会のほとんどは自分の答えた内容で終わりを迎えた。本当に内容を伴わないことを就活生にこうしろと言い回っているのだと実感した。
本のコピペをしていると言うことは、採用側の人の中に自分が言っていることをしっかり理解していない人が多いのだ。
こんな人たちに先行されるのか!と斜に構えてしまう一部の就活生の気持ちもわかってほしい。
自分自身捻くれてると思う。
しかし、採用担当自身背伸びして就活生に背伸びさせてるより、お互い等身大で話した方がその人のことを間違わずに理解できると思う。
身の丈にあったものでも、お互いにベストパフォーマンスさえできれば、方法論などあまり関係ないのだ。