就活日記20 「世間は春だ。私は春が来ているのか?」

最近、毎日が就活でなかなか更新できていませんでした。

 

途切れ途切れだけど、なんとか「就活日記」も20回目。

 

自分にしては意外と続いているなという印象かな笑

 

と本題本題!

 

就活を始めた頃、会場で邪魔になるにも関わらず、寒くてコートを着ていた。

 

今は桜も散り、春の暖かな日差しと爽やかな風の中、何をするにも過ごしやすい日々だ。

 

就活と花粉さえなければと叫びたくはなるが、梅雨に入るまでの僅かな快適すぎる時間を謳歌している。

 

エントリーシートを出しながらの面接は依然続いている。

 

しかし、説明会はある程度なくなり、面接の割合が増してきた。

 

いくつかの企業は面接も進んでいる。ただ内定に繋がりそうかというと、主観的にはいけてる!と思っていても客観的状況はそれを許さないだろう。

 

決めるのはどんなに頑張ろうと企業なのだから。

 

最終面接に行っても、人を雇うという最高峰の人事権を行使できるのは役員である。

 

どんなに人事や面接官が押してくれても、そこでやっぱ違うなと少しでも思われたら負けだ。

 

あー。こんなこと考えていると自分には春がなかなか来そうにないなと思う。

 

もしくは春が来ているのかもしれない。春は妄想と理想と期待に満ち溢れ、現実とのギャップを認識していく季節なのは事実なのだから。

 

あまりにも就活は理不尽な現実だから。

 

自分が説明会にも行かず、ESも瞬時に適当に終わらし、テストもサクッとやった企業がある。「みんしゅう」では第一志望でインターンや説明会、ESとその企業のために多くの時間をかけた人が落ちたと報告する。なのに何故か私は通っている。

 

企業は何を見ているのか本当によくわからない。

企業愛は文章やイベント参加で測れるだろう。

優秀さ?そんなものは何度も話して初めてわかるものだ。

 

人事部用のセミナーでこういう学生はこうだ!みたいなことを教えられてそのまま実践している人事が多いのであまりにも選ばれる側としては不安ばかりだ。

 

今は他人事のように話している合否。しかし、これは自分事でもある。

 

受かった人や決まった人が得意げ、偉そうにしてしまう背景には他人事を自分に置き換えて考えられないからではないだろうか。

 

今の社会では他人の視点から物事を見ることが求められる。

消費者や相手企業の商談相手の気持ちを理解できない人が優秀だとは思わない。

 

ならば、他人に思いを馳せれず、得意げに自慢話を振りまく内定者がでるということは、その企業の見る目はその程度ということなのだろう。

 

もしくは他人の視線に立つことを本質的には求めていないのかもしれない。

 

なんて、なんかひねくれたこと書いた。

 

こんな感じで面接行ってるといつか落とされるから気をつけよう。

けど、考えてることは変わりそうにもない。もしも自分が内定をもらったとしても笑