就活日記42 「優秀な人材とは何なんだ」
最終に4つも落ちると自身もクソも無くなってくる。
そして4度目の最終で言われた「私たちは優秀な人材がほしい」という言葉がなかなか厳しい。
自分が落ちていることからして「優秀じゃない」人なのだろう。
けど、優秀な定義を誰も具体的には語れない。
最終面接に行くまでの面接官はぼくを「優秀」と思える部分があるから通したのだろうけど。。。
最終でそう言われると何を優秀としているのかがわからない。
英語がペラペラならいいの?
誰から見ても崇拝されるような文才があればいいの?
全人類に好かれるようなコミュニケーション能力があればいいの?
よくわからない。
文章や喋り方は見る人それぞれで評価が違うだろう。
コミュニケーション能力と言っても、相手がどんな人かによって優位性が変化する。
そんな不安定な概念で選考を受けていると、自分の長所にまで自信がなくなるではないか。
そして、新聞社の最終で感じたことがある。。。
「ビジネスだから君のやりたいことやして来た体験が生かせるとか限らないよ?」
「社会問題ばかりじゃないからね」
なんていうのだ。
まてまてまて。だいたい記者になりたい人間はそういう経験などから「なりたい!伝えたい」と思うようになるのだ。
志望動機を否定されても困る。
そして新聞をビジネスでしか捉えられないなら、誰も受けない。斜陽産業の中でもトップレベルの傾き具合だからだ。
社会正義や社会に対して伝えるというアプローチをしたいからこそ、人は集まるのに、そこを根っこから刈り取られると悲しさしかない。
最終で「純粋にビジネスとしてどう売り上げを伸ばす?」と聞かれた。
「記事の内容とデジタルの有効利用」とは言ったものの、新聞社を純粋にビジネスとしてだけでみるとそもそも消えるしかない。
もしくはほとんどを共同通信に頼って、人件費カットしまくって、正社員を減らして非正規の記者を増やしてみたいになるだろう。
落ちたからいちゃもんだらけになるのだが、そもそも記者出身の人間がいるビジネスを語ること自体がおかしい。案の定、ここは残して売り上げを伸ばすなんて矛盾だらけの問いを周りに押し付けるのだ。
そういう意味で行くと矛盾だらけで、出てない回答を周りに押し付けるのは、優秀な人間のすることではないと思うのだがどうだろう。。。
ビジネスだけが全てじゃないから、志望している面もあるのに。。。がっかりだよー!!
と叫んでみた。。。
◯追伸
といっても「優秀」なんて抽象的な言葉の本質は言った人間が意味を規定するってことだ。
なので選ぶ側力のある人の思う人間が優秀であるからして、他の企業に合わせたら他ではダメな人間という評価にもなったりする。