就活日記50 「50社近く落ち、情けなさに襲われて〜就活での失敗続きは人をさらに卑屈にさせる〜」

 

記者職の二次募集の季節に入った。

 

今は他の企業を色々受けまくっている。

スケジュール帳のにらめっこする。数えてみると総計48社も落ちていた。

 

そんな中、久しぶりに大学の友人からの電話。

就活を心配してくれてたようだ。

 

記者職は全部ダメだったと伝えると、今は何してるんやと聞いてくる。

 

慰めてくれるのかなあと思い、「いろんな企業受けてるよ」と返すと「そんな君が見たいわけじゃない」と怒られた。

 

「バカのくせに社会のことを考えて得意でもない本を読んで語って、どうにかいい社会にするために時代に一石を投じるような文章を書いている君が見たいんや」

 

と友人は語気を強め語るのだ。

 

立て続けに「総合職なんて向いてないし、もしどっか受かって工場の管理したり、営業先でヘコヘコしたりするお前なんて見てられんわ」

 

なんて言うのだ。

 

嬉しさと情けなさが同時にこみ上げる。。。

 

それだけ、自分がやりたいことをやることに対して楽しみにしていてくれているなんて思いもしてなかった。

 

けど、どうしても情けなさが勝ってしまうんだ。

 

やりたいことをやる資格を勝ち取れない自分がいる。

最終まで行って面接直前の「あと1つだ。気を抜かずに行こう」の数時間には「結果が来ない。どうしよう」と慌てふためく自分になっている。

 

さらに情けないのは、どこか内定をと思って受けた企業に落ちるあたりだ。

 

滑り止めだと思って受けてるから、こんな結果なんだと心を入れ替えて受けても、これまた落ちる。

 

内定率は上がり続ける中、今の内定先に満足せず上を目指して再度就活を始める人がいる中で、ぼくは内定がない現状だ。

 

もう情けなさすぎて、さすがに泣いた。

カッコよく泣けたらいいのかもしれないけど、悲しいから純粋な情けなさからくる涙だ。人間そう言う時はメソメソ泣くのだ。

 

みんな言う。どこかの企業で学生同士の話の中で、志望は記者だと言うと「向いてる!いそう!ぽいよ!!」って。

 

でも新聞社や出版社の最終面接では「私たちは優秀な人材が欲しいからね」なんて言われて落ちたりする。

 

友人たちはみんな、ぼくが記者になることを楽しみにしてくれていたり、望んでくれていたら、応援してくれていたりと、必要としてくれているし認めてもくれている。

 

けど、企業に認められないのでは、飯を食っていけないのだ。

いきなりフリーライターになる技術もない今、就職するしかないんだ。

 

そんな話をすると大勢の人は「受かってなくても、何か絶対にしたいっていう志があることはすごい尊敬できる」なんて言うのだ。

 

別に誰かに「すごい!」なんて言って欲しいわけではないし、その言葉がより一層自分の現状を切なく感じさせるのだ。

 

成功者が語る失敗続きの日常を耐えた志は確かにすごいと言われるだろう。

心意気だけすごい人を凄いと言うだろうか。そんな人がテレビに出てたらネタにしかならない。

 

 

やりたいことをやれる人はいる。

やりたいことのために滑り止めを取れる人もたくさんいる。

 

やりたいこともできないし、やりたくないこともできない人はどれくらいいるんだろうか。

 

こんなくらいで凹むあたり、自分の無駄なプライドの高さが光っている。

 

けど優秀でないってことを、うちに入らない人間だということを、叩き続けられすぎると凹んだっていいじゃないかと思う。

 

バラバラに砕けて散った自信のかけらを集めながらも、今度は違う事象に立脚した自信を作り出さないといけない。

 

同じものを作ってしまうと、また同じことを繰り返すだけだから。

 

 

 

 

◯追記

 

本当に自分のありのままで、内定をもらえる人はたくさんいる。

考え方がヒットしたり、雰囲気がヒットしたら、喋り方がヒットしたり、愛社精神がヒットしたら、経験がヒットしたり。

 

自分は何もヒットするものがないのだろうか。。。なんて思うしかない。

 

記者職で自分の視点を言ったら引かれるのだ。特に面接が進むほど。

「資本主義が貧困や格差の大きな原因だ」なんて答えてしまうのだから。

嘘をつくしかない。けど、貧困や格差を考える上でこの話題を語ることこそが理論を無視した都合のいい論理だと思ってしまう。

 

他の企業を受けるときは、第一志望ではないという意味と経済活動ごどれだけの多くの非正規労働者に苦しい思いをさせているか。なんて思ってしまう。ここも嘘をつくしかない。

 

記者職以外でいいなあって思う企業もたくさんある。けど、経験を喋るときに野宿者支援だと言った瞬間の微妙な顔。どう取り組んだかと聞かれてもどうしても企業の性質に反対するものが入ってしまう。もう少しうまく誤魔化さないとなあ。ってここでも嘘をつくことになる。。。

 

そして、相手の面接官が働き方改革でいかに外国人労働者非正規労働者を有効活用するかと語るときに、自分でもわかるほど笑顔が引きずる。

 

ぼくは嘘をつくのが上手くはないし、全て嘘で固めてると息苦しい。

 

かと言って、嘘を全くつかないと受け入れてくれる可能性が消えることも十分理解している。

 

人生とはこうまでも嘘をつき続ける必要があるのだろうか。

 

自分に嘘をつき続けると、自分はその嘘に応じて変われるのだろうか。

 

思ってることや言動が、どこに言っても受け入れられるような人間だったらよかったなあ。

 

ってそうなれるように頑張るしかないのかな。

 

個人は社会関係の中に規定されたものだ。なんてよく言ったものだと思う。

 

そうなるしかなく、そうしないと生きていけない。

 

なんか今の自分になるための全ての事象に失礼な気がして、自分を変えようとすることが、これまた情けない気持ちにさせるのである。