新卒日記3 「東京に営業として転勤&配属して1ヶ月と少しが経ちました」
8月1日から4ヶ月間の新入社員教育を終えて、東京配属になりました。
配属部署は営業。
うちの会社は配属先が研修と違う場所になる場合、転勤扱いになり転勤手当が頂けます。
しかし、お金ももらえて、本社勤務でウハウハだと思っていたら大間違いでした。
新入社員で、まず営業に行くことはない会社だったのです。
完全なBtoBメーカーで、基本的に「工場で製品の流れや製品知識をしっかりと身につけた人が営業に行くことができる」というのが通説の会社でした。
なので、営業の方々は新入社員が営業部門に配属されるのを見たことがないのです。本当に20年以上ぶりらしく、営業部門には新入社員教育の経験がある人がいません。
ましてや、場所にいる二十代は私を除くと一人しかおらず、他の人は基本的に社内資格では管理職なのです。
唯一の二十代の先輩が私の「なんかもわからない状態」を理解していただけて親身に教えてくれていたところ、40代の指導員(私の指導員)に「お前に何が教えれるんや」とどやされ、私に教えにくい雰囲気になってしまいました。
社内システムすら知らずに営業の席に座っている人間がいることを信じれないという雰囲気でした。
しかも工場のことをよく知らない人間で、工場勤務の人とのコネクションもなくて営業の仕事をどうやってするんやという感じです。
歓迎会の二次会では、少し酔っ払い、私を前にして、「新入社員が営業に来るのは反対や」・「教える時間のせいで仕事が捗らない」・「若い奴は嫌いや」という議論が行われました。
いやいや、私がいる前でそんな話するなんて、どんな神経してるんだと思いながら、歓迎会で謝る始末。情けない。
普段何かを教えてもらうときは、密室で40代指導員に口頭で一気に喋られ、メモを取ると怒られ、一度で覚える前提で話しているらしく、少しでも一度でも触れたことについては聞いても教えてくれません。
何が厄介かというと、間違いなく一度も教えられてないことを教えたと言われる時もあり、なかなかの理不尽感を感じております。
背中を見て覚える時代は、現代のメール主流の時代ではない、何してるかわからないので、正直難しい。
そして何故かみんなの前でも「お前は記憶力も悪いし、要領も悪いし、何でこんなこともできんのや、わからんのや」と怒られます。
「これ作って」と依頼されても、作るために必要な情報ないので、教えを乞うと「探したらわかる」・「ゼロから教えるつもりはない」と言われます。
何とかして頼まれたものを出すと、間違いだらけ。当たり前ですよね。その人しか持ってない情報がないと作れないものなのですから。私の間違えを訂正するときは自分専用の紙のファイルを開き、キレながら訂正していました。
まあ密室でお話しいただいている間もなかなかなもので、ゆとり世代・さとり世代と呼ばれる私にはキツイものがあります。
一気に口で喋られて、それを何とかメモと記憶を辿り教育日報にまとめたところ、「お前それもうできるな?」と聞かれます。
自信がないので「頭では理解しております」と答えると、「そんなことは聞いてない。できるかできんかだけ答えろ」と返ってきます。
正直できるかできないかなんてやってみないとわからないので、「できません」と言いたいのですが、それを一度言った時はめちゃめちゃキレられたので「できます」としか言えないのです。
「できます」と言ったときの指導員の顔をまあすごい。「言ったな?言ったんやからもう絶対にできるよな?もう何も教えんし、間違ったら俺はお前に何も教えんぞ?」という顔をします。まあ、顔だけでなく本当に同じことを言われる時も多々あるのが事実です。
自分の営業部門の他の部署からは凄く心配されるのですが、その指導員には誰も口を出せないらしく、指導員が職場にいる間は皆さん基本的に見ないふりです。いない時には優しく接してくれたりします。
まあ、こんな日が1ヶ月以上続くと、しんどいものがありますね。「お前のためを思って厳しくしてる」というのを毎回のように私にも他の人にも指導員は言うので、そうだと思えるようにマインドセットをしないと実際やってけません笑
正直、配属がすぐから「うちの新入社員使えない」といろんな人に言い回って、私がこれから持つ担当先にも言い回ってるので、ほんとやりにくいのですけどね。。。初めて会った人から不審な目で見られることは、今まで体験してこなかったのでなかなかパンチが効いています。
かつ、それをずっと言ってると同じ部署の人たちも「使えない」と思い始めるまで時間の問題でもあります。
「使えない」という目で見られるてると、自己暗示にかかりやすなり、本当に「自分が使えない人間として使えない人間の道を歩くしかない」と脳に染み込ませてしまうともう負けですから、何とか挽回できるように努力しないといけない。
古い企業なので、そういう昭和的なものが残っているのはわかりますが、今時録音でもすると一瞬でパワハラ認定されるような場面も普通にあります。
社会とは会社とは構造的に冷たいもので、誰も助けてはくれません。
うちの会社で新入社員として営業配属の時点で凄く工場や他の部署の人からは心配されます。同期からも。けど、誰も実際に助けることはできないのです。
確かに仕事は熟練者に比べるとできません。知らないことも覚えられてないことも多々あります。自分が要領の悪い人間であることも認識してます。まだエクセルも自由自在に扱えてない現状ですし。
そして、うちの営業は部門が細分化されてないので、生産管理・品質・技術・物流の部署のシステムと知識も同レベルで必要とされるので、マルチタスクが苦手な私にとっては向いてないのですが、一つずつ潰すためにかなり努力しないといけません。皆さんその場所で何年かずつ働いてから営業に来るので、私はその人たちよりさらに努力しないといけないのです。
早く仕事を覚えたいですね。自分で仕事ができるようになれば、しんどくてもまだ何とかなる面はありますし。
見知らぬ東京という街で、何とか頑張りたい。
◯追伸
選んだのはMacBook Pro とiPad Pro 〜ジョブズの思想が残っているうちに〜
今日のApple者のデベロッパー用発表会「WWDC」でソフトウェアの発表だけだったことを受け、2017年版のMacBook ProとiPad ProをApple Storeで購入しました。
スペックはMacBook ProがTouch Barありの256GBモデルのスペースグレー。
iPad ProはWi-Fiの256GBモデルのスペースグレーです。
まだ入社したばかりでノートパソコンのレッツノートが天に召されてしまい、必要に迫られ予算もできるだけ抑えながらApple製品を購入したいと考え、Apple Store整備済製品を購入しました。
2017年モデルのハードが定期的に入荷していたこともあり、出たばかりの新ハードの不安もなく、古すぎず、いいかな!と考えました。
今更感はありますが、必要性に迫られながらAppleの中での安さも求めたという感じです!
ほんとはMacBook Airの新作が出たらそれにしようと思っていたのですが、今回の発表会ではソフトウェア発表に留まりました。
もし新製品が出るかもしれない数ヶ月後までパソコンなしで待つことも考えられなく、待って出なかった時のつらさを含め購入に踏み切りました。
iPad Proに関しては、どっちにせよ欲しいと思っていたので、自分の欲しいモデルがあるなら買おうくらいの軽いものでした笑
本当であればこの2つを購入すると税込で30万を越してしまうところ、税込で26万になりました。
それでも高いのですが、4万浮くのはうれしいのです。笑
本当なら次の新作まで待つべきなのですが、パソコンがないと話にならないので、購入に踏み切りました!
安さを求めるなら他のパソコンもありました。
◯Appleにした理由は
・iPad Proのメモ機能を活用して、今までノートに書きまくっていたことを一本化したい。
・iPadのメモ機能を使い、スクリーンショットや資料などに活用してわかりやすくデータを保管したい。
・MacBook Proのデザイン性
・MacBook Proの性能
・デザインの美しさ。
・WindowsだとOfficeを入れてしまい、仕事を家でやる可能性があるなか、家ではできない環境を作る。
・WiMAXを頼んだことで、今使用中のiPhoneの棲み分けができる。
・MacBook系統の形が頭打ちになってきている。理由はつけているが改良に近い。
・Appleがsurface bookのようなヒンジの特許を取得したことから、次のハードが出ても様子を見たいと考えた。
です。いろいろ並べてはみたものの、結局は今まで使ったことはないApple製品を使いたかったんですね笑
深く考えたというより「Macを使いたいけど使いにくいんじゃないの?」感覚を乗り越えてみたいという感覚ですかね!
そして、もしこれからMacハードに大きな改良を加えていくならば、スティーブ・ジョブズの描いた世界とかけ離れていく可能性があります。それはもうAppleのブランドを自分的には欠けてしまったイメージがある。ならば今が最後のジョブズの思想が強く残っている商品群なのではないかと考えています。
最高のクリエイティビティを持ちイノベーションを起こしながらも、堅実性に欠けたジョブズのアイデアと商品を、堅実なティム・クックがしっかりと改良しながらジョブズの開拓した獣道を舗装してきました。
爆発力を堅実性でコントロールしつつある今、もしかしたら未来から見ると「最高」のApple製品の時代だったと言われてたりするかもしれません。
そして、話は製品に戻るのですが。。。
◯逆に怖いのはなんと言っても
・故障の可能性
・修理の費用
ですね。ここばかりは保険はつかなかったものの不安は残ります。大事に使うよう心がけますが、もしもの時は覚悟しています。。。
surfaceとも悩んでいたのですがペン性能の違いは大きく影響しました。やっぱりApple pencilすごい!
surface bookのヒンジのデザインは個人的にはあまりカッコ良いとは思いませんでした。
そして、なんと言ってもApple製品はなぜかやる気がでます。せっかく買ったのだから使いこなしたいと思わせてくれるのです。こんなパソコン初心者かつミーハーな私に対しても!
2つのハード合わせて26万円。ならばその分の知識獲得や発想の進化、何かしらの形での利益をしっかり出していこう思います。
自分へのご褒美と期待と高価という責任感を込めて。
またこれからも使いながらいろいろレビューしていきますね!
Mac初心者として何もわからない人しての視点を大切にしながら、レビューできたらなと思います!
◯追伸
届いたら絶対にMac持ってスタバ行きます。
なんと言われようと、私はそれをいつか自分でするために非難してこなかったようなものなのです、何としてもしたかった。切実に。
「AppleのMacBook」と「Microsoftのsurface」で悩む
6年以上使っているパナソニックのレッツノートの液晶画面に光が入らないドットが増え始めました。
そろそろノートパソコンを買い換えようと思い、考え始めました。
悲しいかな、すぐに自分がミーハーだと思い知らされました。
昨日はある程度見るが、やっぱりデザインとブランドで最終的に観てしまうのです。
そこで候補に上がったのがMicrosoftのsurfaceとAppleのMacBookです。
テーマはに自宅の机に置いてやる気が出ること」と「カフェでパソコンを今風に使いたい」でした。
他にも調べれば調べるほどスペック、サイズ、キーボードの打ち心地などいいものや、上記の2つに近いものはあるのですが、ここの会社が出しているパソコンで作業したいとの気持ちからこの2つに絞りました。
パソコンとなると、新入社員の自分には高い買い物になります。
何かでパソコン購入費の減価償却をできたらいいかと考えながらも、やはり適当には選べません。
なので、最近は週に2回ほど、電気屋に通いキーボードを打ち触り心地を確かめています。
会社の仕事を家に持ち帰ってすることはないので、MacBook系でも問題はありません。
使い慣れたWindowsのOfficeである必要性もありません。
しかし、surfaceの最新モデルsurface book2はとてもタイピングがしやすく、surfaceはsurface Pro、surface laptop、surface book2と全てがタッチペンが使えるのです。
必要ないなら、いらない機能なのですが、パソコンで直にメモを取りたいので、非常に魅力的です。ただデザインはsurface laptopを除き、あまりかっこよくないのです。
特に個人的になのですが、surface book2は画面を取り外し可能で、画面反転もできるので、接続部分が自由に曲がるようになっており、横から見るとキーボードディスプレイの間に隙間が空いてダサく感じてしまいます。
けど、Macを使い慣れているわけでもなく、surface laptopのデザイン性が非常に気に入ったことでsurface laptopにほぼ確定をしておりました。
しかし、そんな中、Appleの新作発表会の日付が確定したのです!
6月4日に開催されるとのこと。
これは見てから決めるしかないと思いました。
パソコンを悩んで買うということが初めてなので、これからどちらにせよ、パソコンを買ってからはレビューをしていけたらなと思います。付属品も含めて。
修理のめんどくささは置いとき気持ちよく使うことを目的として、これから選んでいきます!
新卒日記2 「初任給と親の目線」
初任給で何買おうかなと思っていたところ親から連絡が来た。
大学生ではなくなり、お金もかからなくなり、嬉しい気持ちの反面、手がかからなくなる切なさを感じていた。
それはさておき
「初任給はいくら出たの」と聞かれる。
もう嫌な予感しかしない。メーカーで教育期間ということも換算すると全くおかしくない給料なので「◯◯万円ちょいかな!」と言うと。。。
まさかの微妙な反応。
初任給やもんね!みたいな!
これから上がっていくのはいくだろうけど、親の予想には追いつけそうもない。
親族で、かつ男で年収が一千万超えたことない人がほとんどいないのだ。。。
比べられると困る!本当に!
比べられても困るとは言えず、軽く萎えて電話が終わった。
別に低すぎもしない給料に対して親の反応に、その時少し凹んでいたのだけど、回復!
自分の中には「何かがすごくないといけない」みたいな価値観が成長過程で刷り込まれていることを実感した。
親族からは個人的には不満のある目線だけど、自分の価値観がどんな人たちから来ているかを理解するとすごく楽になる。
会社でも人と比べることばかりだろう。競争に勝たないといけないこともあるだろう。
勝つこともあれば負けることもある。
それで評価も変わってくる。
でも、その評価軸は何故作られたのかを理解していたら、割り切って生きていけるだろう。
「人生、楽しく、悔いなく」過ごすことに越したことはない。
そのためにもできるだけ1つの価値観に振り回され続けないよう心がけたい。
まだまだ振り回されてはいるのだけれども笑
おわり!!
新卒日記 1
久しぶりの投稿になります。
入社してもう少しで2ヶ月が経とうとしています。
今までにきたことない土地に来て、不安もいろいろあったのですが、なんとか体調も崩さずやれています。
3月の末に寮に入り、
座学や工場見学、グループワークなのどの研修があり、
連休明けからは工場の三交代勤務に入っています。
三交代をあと1ヶ月半ほど続けて、
また教育を1ヶ月ほど受け、
8月1日から配属となります。
同期や先輩に恵まれ、楽しく過ごせています。
さすがに三交代勤務はやったこともなかったので0時から8時の夜勤はしんどいものがありました。
現場の働き方を体に叩き込むことと
夜勤手当という誘惑の両輪が今のモチベーションです。笑
まとまったお給料をいただくというのは本当にありがたいです。だからこそ、給料に見合う人間になるためにも、いろいろ教育を受けています。
ただ、なんとなく思うのは、雇われグセが変についてしまわないかなということです。
うちの親族はみなさん良い企業に勤めていて、役職もいい人たちが多いのですが、
「会社の看板がなければ、自分だけではこんなには稼げない」とよく言っています。
様々な能力を兼ね備えても、それはその企業とその他近しい範囲でしか通用しないということです。
なので、不規則な動きを見せる経済下で、自分の企業がずっとあるとは思いません。
そんな時、自分の力でもなんとかなるように、少し会社での学び以外の学びを取り入れていこうと思います。
◯追伸
配属がまだ決まっていないので本当にドキドキです。
就活日記51 「内定もらえて本当によかった」
ご無沙汰しております。
もう何ヶ月も日記を更新できいませんでした。
ずっと更新はしていなかったのですが、8月の下旬に内定を頂きました。
報告が遅れて申し訳ございません泣
心配や応援してくれた方々、本当にありがとうございます。
ぼく、何とかなりました!笑
今月、10月初旬に無事内定式を終え、何とか来年度からは働けそうです。
記者になりたくてなりたくて、8月下旬の内定のも地味に就活を続けていました。
大手全国紙の秋採用も進んではいたのですが、残念ながら3次選考でお祈りメール。
ここまで落ちるとある意味諦めはつきました。もしかしたら、内定を頂いた企業の本社が東京なので、東京配属がありえます。
新聞社の面接には時間給を使用して受けにきている社会人の方もいたので、そのような悪あがきをまたしようかな、なんて思ってみたりもしてます。
それ以外でも、今自分が書いているブログのように、誰でも情報を発信できる時代です。
やりたいことだからこそ「書く」ことを仕事にできなくとも、続けていこうかなと思います。
少しできた休みにどこかに出かけて、見て聞いて感じたことを文章にする。読んだ本や自分だ体験を文章にする。
様々なことに可能性は開かれているからこそ、前向きに進んでいきたいです。
そして、今回内定を頂いいた企業には本当に感謝です。学生を伸ばしてまで記者を目指している人間を取ってくれて。
転職が当たり前の時代、自分自身にも他にもやりたいことはあり、大切にしたいこともある。もちろん時代の流れと同じように、自分自身、ずっと同じ企業で一生働くなんて考えていません。
そんな中でも何かしらの形でしっかり恩返しをしたいと思っています。
。。。なんて言ってみました笑
そんなこと言っても、自分はただの労働者で企業の利益のために動くネジの1つであることには変わらないんですけどね笑
あんまりそういう、受動的な考え方は好きではないので、純粋な感謝はここまで!笑
本当にありがとうございます!
○追伸 「ブログタイトルについて」
就活が終わって日記のタイトルに違和感を感じました。
浪人してまでも挑戦した記者という仕事に就けませんでした。しかし、食いっぱぐれる可能性が格段に低い企業に就職することができました。
ただ、就職は人生の到達点でも何でもありません。暑い中での長い長い就活を中島みゆきの歌詞のように「あんな時代もあったねと」で終わらせたくもありません。
今の所、このブログはこのタイトルで続けようと思います。旅行記も書評も評論も料理も、このブログにノンジャンルで投稿していこうかなと思います。
苦しさをしっかりと土台に置き、苦しみをしっかりと認識しながら、忘れずに、これからも歩き続けようと思います。
なぜなら。就活は毎年行われる。毎年新しい人たちによって。ならば、毎年、苦しい思いをする人が出てくる。
苦しさの再生産があることを忘れなくないのです。
何はともあれ、続ける方向でいこうと思いまーす!
おーわりっ!
就活日記50 「50社近く落ち、情けなさに襲われて〜就活での失敗続きは人をさらに卑屈にさせる〜」
記者職の二次募集の季節に入った。
今は他の企業を色々受けまくっている。
スケジュール帳のにらめっこする。数えてみると総計48社も落ちていた。
そんな中、久しぶりに大学の友人からの電話。
就活を心配してくれてたようだ。
記者職は全部ダメだったと伝えると、今は何してるんやと聞いてくる。
慰めてくれるのかなあと思い、「いろんな企業受けてるよ」と返すと「そんな君が見たいわけじゃない」と怒られた。
「バカのくせに社会のことを考えて得意でもない本を読んで語って、どうにかいい社会にするために時代に一石を投じるような文章を書いている君が見たいんや」
と友人は語気を強め語るのだ。
立て続けに「総合職なんて向いてないし、もしどっか受かって工場の管理したり、営業先でヘコヘコしたりするお前なんて見てられんわ」
なんて言うのだ。
嬉しさと情けなさが同時にこみ上げる。。。
それだけ、自分がやりたいことをやることに対して楽しみにしていてくれているなんて思いもしてなかった。
けど、どうしても情けなさが勝ってしまうんだ。
やりたいことをやる資格を勝ち取れない自分がいる。
最終まで行って面接直前の「あと1つだ。気を抜かずに行こう」の数時間には「結果が来ない。どうしよう」と慌てふためく自分になっている。
さらに情けないのは、どこか内定をと思って受けた企業に落ちるあたりだ。
滑り止めだと思って受けてるから、こんな結果なんだと心を入れ替えて受けても、これまた落ちる。
内定率は上がり続ける中、今の内定先に満足せず上を目指して再度就活を始める人がいる中で、ぼくは内定がない現状だ。
もう情けなさすぎて、さすがに泣いた。
カッコよく泣けたらいいのかもしれないけど、悲しいから純粋な情けなさからくる涙だ。人間そう言う時はメソメソ泣くのだ。
みんな言う。どこかの企業で学生同士の話の中で、志望は記者だと言うと「向いてる!いそう!ぽいよ!!」って。
でも新聞社や出版社の最終面接では「私たちは優秀な人材が欲しいからね」なんて言われて落ちたりする。
友人たちはみんな、ぼくが記者になることを楽しみにしてくれていたり、望んでくれていたら、応援してくれていたりと、必要としてくれているし認めてもくれている。
けど、企業に認められないのでは、飯を食っていけないのだ。
いきなりフリーライターになる技術もない今、就職するしかないんだ。
そんな話をすると大勢の人は「受かってなくても、何か絶対にしたいっていう志があることはすごい尊敬できる」なんて言うのだ。
別に誰かに「すごい!」なんて言って欲しいわけではないし、その言葉がより一層自分の現状を切なく感じさせるのだ。
成功者が語る失敗続きの日常を耐えた志は確かにすごいと言われるだろう。
心意気だけすごい人を凄いと言うだろうか。そんな人がテレビに出てたらネタにしかならない。
やりたいことをやれる人はいる。
やりたいことのために滑り止めを取れる人もたくさんいる。
やりたいこともできないし、やりたくないこともできない人はどれくらいいるんだろうか。
こんなくらいで凹むあたり、自分の無駄なプライドの高さが光っている。
けど優秀でないってことを、うちに入らない人間だということを、叩き続けられすぎると凹んだっていいじゃないかと思う。
バラバラに砕けて散った自信のかけらを集めながらも、今度は違う事象に立脚した自信を作り出さないといけない。
同じものを作ってしまうと、また同じことを繰り返すだけだから。
◯追記
本当に自分のありのままで、内定をもらえる人はたくさんいる。
考え方がヒットしたり、雰囲気がヒットしたら、喋り方がヒットしたり、愛社精神がヒットしたら、経験がヒットしたり。
自分は何もヒットするものがないのだろうか。。。なんて思うしかない。
記者職で自分の視点を言ったら引かれるのだ。特に面接が進むほど。
「資本主義が貧困や格差の大きな原因だ」なんて答えてしまうのだから。
嘘をつくしかない。けど、貧困や格差を考える上でこの話題を語ることこそが理論を無視した都合のいい論理だと思ってしまう。
他の企業を受けるときは、第一志望ではないという意味と経済活動ごどれだけの多くの非正規労働者に苦しい思いをさせているか。なんて思ってしまう。ここも嘘をつくしかない。
記者職以外でいいなあって思う企業もたくさんある。けど、経験を喋るときに野宿者支援だと言った瞬間の微妙な顔。どう取り組んだかと聞かれてもどうしても企業の性質に反対するものが入ってしまう。もう少しうまく誤魔化さないとなあ。ってここでも嘘をつくことになる。。。
そして、相手の面接官が働き方改革でいかに外国人労働者や非正規労働者を有効活用するかと語るときに、自分でもわかるほど笑顔が引きずる。
ぼくは嘘をつくのが上手くはないし、全て嘘で固めてると息苦しい。
かと言って、嘘を全くつかないと受け入れてくれる可能性が消えることも十分理解している。
人生とはこうまでも嘘をつき続ける必要があるのだろうか。
自分に嘘をつき続けると、自分はその嘘に応じて変われるのだろうか。
思ってることや言動が、どこに言っても受け入れられるような人間だったらよかったなあ。
ってそうなれるように頑張るしかないのかな。
個人は社会関係の中に規定されたものだ。なんてよく言ったものだと思う。
そうなるしかなく、そうしないと生きていけない。
なんか今の自分になるための全ての事象に失礼な気がして、自分を変えようとすることが、これまた情けない気持ちにさせるのである。