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「子ども時代」から「今の私」

ブログ初めて二回目の投稿なので、今週のお題「何して遊んだ?」にあやからせていただきます!

 

燃えるような夏の暑さの中、網を持って色んな場所に行った。そして、ポケットの中にはゲームボーイが入っていた。

 

中学校に入学してからは、テニスばっかりしてたから、小学生の時のぼくの遊び方だ。「ゆとり世代」と言われる自分には遊ぶ時間はたくさんあった。

 

小学校になったころに、携帯ゲーム機なるものが流行り出す。ポケモンには全力で取り組んでいたものの、今のようにスマフォゲームもなければ、ゲームカセットを買うのにすら手間がかかる時代だった。

 

今でさえ、一時間に一本電車が来たらいい方の地域が実家だ。小学校低学年のころは、ゲームカセット一つ買いに行くにしても、車で一時間以上走らせたところにあるデパートのおもちゃ売り場だけだった。

 

だから、ほとんどの時間は外で遊ぶ。

大人数で遊ぶときは鬼ごっこやけいどろ、少数精鋭部隊になると山に入って虫を取り、川に入って魚を乱獲していた。門限を破っては怒られてばかりの毎日だった。

 

川も山も正直今思い出せるのは嫌な思い出。というよりは、嫌と言うほど思い出に残る出来事かな。

 

○緑に囲まれ、衝撃的運命的出会い

 

クワガタが何としても欲しいと思ったぼくたちは木に穴の中に蜂蜜の仕掛けていた。噂でもよく取れるという場所。

テレビに出てきそうなほどの豊かな自然。シチュエーションには問題ない。木に登って、餌を仕掛けた穴の中をのぞく。

 

やっぱりね!!クワガタいたぜコンチクショー!!

いっしょに行った四人で超大盛り上がり。

 

誰のモノになるかは、じゃんけんだななんて思いながら取り出すと刺激的な音がした。

 

「ブーン」

スズメバチも手とともに召喚。

 

お食事の邪魔をしたようで、非常に怒っておりまして、アニメのように追いかけてきた。全力で走ると追いつかれることなく逃げ切れた。苦い思い出。けどいい思い出。

 

○川なんだけど魚じゃない

 

川に魚を捕りに来ていた。ハヤやコイがいる。ある程度とって満足していた時、河原で動くものを見つけた。

 

ヘビ。

 

田舎の少年たちにとってヘビはかっこいペットの象徴である。

神話で出てくる神聖な生き物だなんて知らないぼくたちは、かまれないように弱らすことから始めた。

 

まずは尻尾を捕まえる。そして、カウボーイの要領で振り回す。こうすると遠心力で自分たちがかまれることはない。そして弱ったところを捕獲。

じゃんけんの結果、家が漁師のやつが権利を獲得した。

 

大切にバックにいれる。

本当ならば、ここで一件落着なのだけど、暇になってみんなでヘビとじゃんけんすることになった。正直今考えると意味が分からないのだけど、何故かそうなった。

 

一人目は漁師の息子。

ここでヘビとのじゃんけんのルールが決まる。

 

「じゃーんけーんほいっ」

の掛け声とともに、彼の出したチョキの先にヘビがかみついていた。

 

「負けた」なんて言って泣いている友達。幸い毒蛇じゃなかったらしく、命に別状はなかった。

「お前が持って帰ろうとしたから天罰が下ったんだ!」の決断を出した自分たちを今思うとおバカすぎて情けない。。。

 

○生物収集からゲームへ

 

小学校高学年になるにつれて、ゲームが普及していき、外で遊ばなくなっていった。なんか今思うと切ない瞬間だ。

実際に生身で喧嘩していた時の「痛い」はゲーム内のキャラクターが攻撃を受けての「痛い」に変わり、狩りに出て手に入れたものは、虫かごや水槽からゲームカセットのデータに変わった。

 

つまり、リオレウスがクワガタにとってかわったのだ。

 

やってることは変わらないのかもしれないのかもしれないが、ゲームという仮想空間を通したものに代替していった。

友達関係も、同じゲームで遊ぶ人が優先的になった。ぼくは運よくゲームを持っていたけど。買えない人はどうしたらいいんだよって今は思う。

 

現実ではなく仮想空間が大切になっていった時代がちょうど自分の少年期だったのだ。

 

なんだか、自分たちが仮想空間を支配しているのではなく、仮想空間の内容によって自分たちは規定づけられている感覚すらある。

 

世知辛い世の中だ」なんて言ってしまえば、現実がより空虚になるだけなのかな。。。

 

○最後に

 

子ども時代の体験や環境に変化は、記憶に残っていなくても後々影響する。

 

何をどうしたらこんな人間になる!みたいな確実な話はないが、その経験から無意識的に行動し喋るのは疑いようがない。

 

だからこそ、今の子どもたちにはできるだけ現実世界を舞台に遊び、現実世界でつながっていてほしい。

 

偉そうに言ったけど、今の自分にとってかけがえのない友達の大部分は、そうやって一緒に空間と共有し、向き合ってきた人だから。

なかなか、縁は切れない。

たとえずっとあっていなくても思い出話に花を咲かせて、おいしいお酒が飲めるのだ。

 

何が正しくて悪いなんて決めれはしないけど、自分にとっては心地よい生き方だと思う。

 

おーわりっ

 

○追伸

 

文脈のない話かつ、偉そうな話を書いてしまいました。

反省反省!