おじ様方の憂鬱

 

少し前の面接でなかなか面白い自己紹介があった。

 

「〇〇部の〇〇と言います。本当は人事に行きたくて、ずっと志願しているのだけどなかなか行かしてくれません」

 

これを聞いた瞬間頭の中が凍った。

 

自分自身、この企業の人事にお世話になって、この人みたいになりたい、この人を超えたみたいという気持ちで選考を進んでいたのだ。

 

人事の話をした時、やはり絶妙な顔をされた。気のせいかもしれないが自分にはそう見えた。

 

終わったなという思いとともに、面接官のおじ様への気持ちもある。

 

行きたいという気持ちを持ちながらも、自分より若い人が抜擢される。だとか。。。

自分より若い人間の下で働くだとか。。。

 

世のおじ様の憂鬱を挙げればきりがない。

 

息子や娘が鬱で、医療費を始め生活費の年収がたいへんだ。

子どもの大学卒業と共に退職するプランだったが、子どもが就職できなくて、もしくは仕事を辞めて、自分が稼がないと生活できない。

 

若者につらい社会が今だ。

けど、若者にも親がいる。ということは家族が重要視される日本においては親世代もきついのだ。

 

そう思うと、本当に多くの人にとってしんどい社会だなあ。。。なんて思ってみたりもする。

 

 

〇追伸

 

今の所連絡が来てないから落ちている可能性がすごく高いんだけど、ちょっとまだ来てないってだけで期待してしまう自分が情けない!

 

それと。。。「ゆとり世代は。。。」とかって自分だけ棚に上げて「世代」を責めるのは良くないと思う。

「これだから団塊の世代は。。。」的なニュアンスのことを言われて腹が立ったという話をしていた男性がまた飲み屋にいたが、それを言われて腹が立ったり意味がないと思うなら「ゆとりは」なんて言わない方がいいのはわかってくれると思う。