就活日記② 「私たちは商品である~養殖魚のような人生~」

 

ここ数日で、インターンもあり、面接予定も入ってきている。

 

インターンでは、会社説明がある。

そして「社会人」に必要な姿勢と技術を認識するために、ワークがある。

 

業界や会社説明は非常にわかりやすく、勉強になる。

グループワークや個人ワークも、恐ろしく意味のある時間だ。

 

ワークでは、会話するときに必要な観点や、タイムマネージメント、仮説力、提案力、合意形成能力などなどなどを具体的に指導される。

 

ぼく自身、ビジネス書や自己啓発本といったたぐいはよく読む。

けど、読みっぱなしで、意識せずに行動してしまっている。

 

ワークはそれを意識させながらの小さな実践だ。

なるほど。そりゃ、非常に有意義なわけだ。

 

なんて、思っていたら、少し違和感が湧いてきた。

 

確かに能力として持っているに越したことはない。

しかし「社会人」のあり方が非常に狭いのだ。

 

どう狭いかと言うと、礼儀や様々な能力の必要性を説かれるとき、すべてに「企業活動のために」と言う前提がついている。

 

商談相手に嫌な思いをさせてはいけない

顧客に商品を買ってもらうために

より良い関係を気づくために(顧客を逃がさない)

 

なんて、耳が痛くなるほど聞いた。

し、これからも聞き続ける。

 

結局、多くの人が言う「社会人」は、企業活動の上で邪魔にならない人間を指していた。

 

日本は資本主義国だ。

というより、世界のほとんどの国は資本主義の原理原則にのっとっている。

 

資本主義は、利潤最大化を前提とし、競争を行わざるを得ない。

 

だから、企業社会から求められる「社会人像」はしょうがない。

なんて言いたくはない。言わないと受からないから言うけど。。。

 

なんか、私たちが予定調和で、量産されている人間だなんて嫌だ。

個を否定するわけではないけど、企業側から見たら、私たち就活生はスーパーの棚に並んだ商品みたいなもんだ。

 

お金を払うから、よりいいものを買いたい。もしくは、より安いものを買いたい。

なんて、自分が買う側だったら思うだろう。

 

だから商品の質を最低ラインは均質化しているんだ。

学校教育や家庭教育、受験、就活を通して、企業社会の望む人間に育てられてきた私たちの人生が何よりもの証拠だ。

 

 

なんだか、おいしくなるように育てられた養殖魚のようだな。

 

 

養殖魚は食べるために育てられる。おいしく調理されることもあれば、廃棄になることもある。

私たちは、利益を出すために育てられた。安定した人生を歩むこともあれば、使いつぶされて命を絶つ人もいる。

 

極論だけど、すごく似ている。

その囲まれた網の中で、いかに有意義に暮らすかしか考えれないなんて、おもしろくないなー。

 

 

○追伸

なんか中島みゆきの「ファイト!」を思い出した。

 

暗い水の流れに打たれながら魚たちのぼってゆく

光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから

いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね

やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく

 

勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの

出場通知を抱きしめて あいつは海になりました

 

ファイト! 闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト! 冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ

 

 

出場通知は受験票。

就活のときに聴くと、そうにしか聴こえない笑

 

就活に疑問を抱こうとも、そんなこと言ってたらどこも受からない。

わかってる。しんどくても仮面を被って、舞台の上で踊ろう。

 

手のひら、という舞台の上で