就活日記⑧ 「空前の売り手市場の内実」

 

ニュースを見ても新聞を見ても

 

「新卒生空前の売り手市場」の文字が踊る。

 

最近では、就活生がプレゼンを行い、そこに人事が参加して採用をするという「逆就活」なるものも表に出てきた。

 

2017年の新卒有効求人倍率は1.74倍で数字上はなかなかの数字を叩き出し、売り手市場とうだけはある。

 

企業や政府曰く、経済が上向きになってきたかららしい。

 

そして、数年前に高知県の有効求人倍率が1倍を超えて今では1.11倍まで増加した。これも政府は経済の好循環だと言う。

 

もう有効求人倍率を見ると上向きになりまくっている。

 

その原因としては経済の好循環だと叫ばれることが自分の頭に定着してきたが、そういえ理由ではないのだと考える。

 

じゃあ、何が理由か。

 

忘れ去られているかもしれないが、団塊の世代の退職の真っ只中であるからだ。

高度経済成長期のノリノリの日本。成長幅もどこの市場を見ても余裕があった日本。若者がたくさんいた日本。

全てが重なり大勢入社した世代が毎年毎年辞めていくのだ、有効求人倍率が上がらない方がおかしい。

 

そして、高知県の県はこれまたおもしろく。

自分の実家も四国なのだが、自分みたいな若者が都会に吸い上げられ、その土地に労働者が少なくなったからだ。そしてここでも例外なしに団塊の世代は退職を迎えている。それは仕事が少なかろうと必然的に有効求人倍率は上昇する。

 

何が言いたいのかというと、別に経済は上向いていないということだ。

 

日銀の金融緩和。そしてマイナス金利

実体経済をどこかへ放置して、架空のお金の数字だけが動き続ける経済がいい感じになっているように見えるのだ。

 

体調が悪いのに、頑張って化粧して顔色を誤魔化し面接に行くのと同じだ。

 

旅行会社「てるみくらぶ」の倒産とともに投げ出された内定者58人に対して200以上もの企業から採用要請が出て、争奪戦が起こっている状況を見ると、日本経済は安心で就活もウハウハみたいなイメージを何も知らない大人は思うかもしれないがそうではない。

 

この数字上は良くとも、実態として厳しい経済状況の中を勝ち抜くために必死なのだ。

 

決して創設当時のハングリー精神ではなく

勝たないといけない潰れるわけにはいかないという危機感からの企業の行動だ。

 

だから、私たちの様な今から就職する人にとっては非常に厳しい環境しか待ち受けていないということになる。

 

空前の売り手市場は団塊の世代の穴埋めとして当たり前。

企業の生存競争が激化しているから当たり前。

 

これまでと比べ、入り口はパラダイスのように見えて、入ってからは反面ディストピアが待ち受けている。

 

そして忘れてはならないのは、この状況で働きたくても働けない人がたくさんいて、

 

ワーキングプアがどんどん増えている現実だ。

 

入社してからの失敗は私たちの世代にとっては命取りなり。

一度、使えない判断を下されたら生きていけない。

 

有効求人倍率が上がったからと言って、何も華やかな仕事ばかりではない。

 

ワーキングプアの人たちは働きながらも生きていけないほどに賃金が少ない。

 

安定した仕事の需要の増加より

不安定労働の需要のほうが圧倒的に増加しているのだ。

 

数字のマジック。騙されないようにしたい。

そして、騙されなくとも、生きていけなくなるなら、それも大きな問題だ。

 

リーマンショック前並みの数字を叩き出す経済に、まだ見ぬ恐慌を未来に見据えてしまうのは必然だろう。

 

どんな状況でも、どんな未来に衝突しようとも、強く生きていきたい。

 

これだけ社会構造に私たちの人生が振り回され規定づけられる現状で、全てを自分のせいにして鬱になるなんて間違っている。

 

そう思うからこんな記事書いて見ました。

 

◯追伸

あっちこっちいった話にまたもなってしまいました。

言いたいことは、今の社会構造は理不尽な問題を孕みながらも、都合のいいPRを私たちにはしている。だから、その前提を踏まえてしんどくなりすぎないようにいきていこう。ということでした!

 

長々と書きましたが、読んでいた人に感謝です!

 

 

 

就活日記⑦ 「説明会での勝手な勘違い」

就活解禁から一ヶ月が経ち、説明会やらESやら選考と忙しさが続いています。

 

エントリーシートは10を超え、SPIやウェブテストも受けながら、就活やってます。

 

そんななか気になった出来事があった。

 

ある大手会社のグループ会社の説明会に行った時のこと。

 

「うちは本体の営業部隊がそのまま出てきてできた会社なんですよ!」と言っていた。

 

会社名にも本元の名前が付いていて、その本元の会社の名前が入っている会社はすごく少ないので税金対策かなんかで名目上分社化したのかなと勝手に自分は想像していた。

 

というより、そういう風に聞こえるような説明会とトークイベントだった。

 

しかし知人にその業界のトップレベルの会社で管理職をしている人がいて、聞いてみると

 

「そこは名前だけでほとんど、本社とは別働隊だよ」とのこと。

 

あれ?人事交流もあって、分野によっては一緒にしてるという説明を受けたのに何でだろうと思ってしまうなにも知らなかった自分。

 

営業部隊というより、本社専用の問屋だったのだ。

 

正直説明会とトークイベントでの印象とギャップがありすぎて、ちゃんと受ける会社はいろいろな角度で調べようと思った。

 

 

けど、これは本当になかなか気づかない話。

 

都合のいいところだけ切り取って説明会では喋るので、どんなに真剣でも都合のいいところを見せなければいいということになってしまうのだ。

 

よく新卒がすぐに鬱になったり、辞めたりの理由をゆとりだとか、ミスマッチと言われる。

 

ミスマッチを誘発しているのは、少しでも仕事のできる人間を集めたいと思って都合のいいとこだけを流す企業の側にあるのではないだろうか。

 

それで、働いている自分の同級生もだが、ミスマッチを自分のせいにして、鬱になっている姿を見るとその企業に腹が立つ。

 

そんなこと言っていたら働けない。そうやって世の中の人たちは学生や新卒に口を酸っぱくして言ってくださる。

 

そうなのかもしれない。けど、やりたい仕事ではでない可能性を誤魔化すのは企業側の怠慢ではないだろうか。

 

やりたい仕事をして、しんどくて鬱になるのは別にいい。と言いたいわけでないけれども。やりたい仕事なら効率もメンタルヘルスも比較的いい数字はなるのだから、そこは大切なところだ。

 

「しかたがない」なんて平気で言えるよえな大人に夢を語られる筋合いも偉そうにされる筋合いも私たちにはないのだ。

 

妥協と迎合の中で生きて行かざるを得ない状況があること自体はわかるが、

 

妥協と迎合した経験をあたかも夢物語のように説明会やトークイベントで学生に語るのはおかしいのではないだろうか。

 

もし、立場が下の者に自分を誤魔化し自慢することで自分を保っている現状があるならば、なんとも

切なく空虚なことだろう。

 

就活日記⑥ 「就活相談は罵られる時間ではない」

 

3月の就活解禁日以降、大学近くのファミレスでは毎日のように就活相談が行われている。

 

「〇〇しないと落ちる」「〇〇しとけば間違いない」といった言葉が、いつ行っても聞こえてくる。

 

いつも誰でも、就活生は萎縮と不安の表情を浮かべている。相対して、内定をもらっている先輩方は非常に誇らしげに自信満々で語りあげる。

 

実際に、就活生側はいいとこに内定をもらった先輩に話を聞く。就活生の至上目的は「内定」である。できれば良い企業に。というところだ。

 

だからこそ、そういった先輩に相談を持ちかけるのだ。

どのようにスケジュールを組み、エントリーシートはどう書いて、面接での振る舞いはどうだったか。良いとこに「内定」をもらった人の成功談や経験談を聞き自分も倣おうというのだ。

 

どの企業も、ある程度人事の評価基準が近いからこそ話を聞くことに意味を見出しているのだ。

 

ところがどっこい。

 

だいたいの相談会の進み方は、方法論を少し喋っただけで、あとは精神論になる。こういう気持ちの持ち方をするべきだ!ということだ。

 

方法論に至っては、ネットや本に書いていることより少ないくらいしか喋っていない。

 

聞きたいのは方法論なのに、精神論を語る人を見るともどかしくなる。

 

おそらく、人事から見ても方法論を評価している部分も多いだろう。

だけど、多くの内定者は自分の精神論があるからこそ、受かったと勘違いをしている人もいるのだ。

 

この精神論が進むとどうなるか。

就活生の個人の性格を否定し始めるのである。

 

「お前はコミュニケーション能力が無いからこのままだと受からない」

「人と喋るのを楽しめてなさすぎる」

 

などと、聞いていても意味がわからないことばかりである。

 

 

コミュニケーション能力なんて、どの場面でどう作用するかは個人それぞれだ。二人でいるときに強い人。大勢が強い人。おとなしい人となら他の人より早く打ち解けれる人。

誰から見るか、どう見るかで形などいくらでも変わるのである。

 

人と喋るののを楽しめてなさすぎる。なんて事を言ってしまった暁には、カッコ悪くてしょうがない。だって、他の人と話すときには楽しそうにしてるはずだ。偉そうにする内定者と話すのを楽しめないだけではないだろうか。

 

 

こうやって、受かったから「自分は正しくて、お前は間違っている」と語る人は苦手だ。

 

喋ることが変わらない場合、内定があるかないかで、その言葉の意味や価値が大きく変わってしまうのでは、一貫して通用する方法など見つけられない。確かにエビデンスにはなるが。

 

罵られるため、否定されるために相談したわけではないのに、なんともしんどい時間になってしまう。

 

相談する就活生。自分もだけど。

 

その、相談相手の内定者が、今から一年後バリバリに働いて成績残しながら会社にいるとは限らないよ。

 

もし、全くダメで数ヶ月でやめてしまう人に、お前はダメだと言われ続けていたら、おそらくそれは自分自身の内定には繋がらない。

 

〇追伸

会社を辞める可能性の高い人に聞いても意味ないとか、そういう奴はダメだと言いたいわけではないんです。

就活生が理不尽を被りながらしている相談は、それほど不安定な土台の上に成立している。と言いたかったのです。

だから、絶対に納得できないことまで、信じる必要はないかなと思いました。

就活日記⑤ 「高倍率の大手と優良企業。あらゆる競争に振り回される私たち」

 

三月から本格的な就活戦線が開かれ、一週間ほどたった。

 

行きたい職種は決まっていて、受けるところも決めている。しかし、全て倍率が高い。

 

だからこそ、他の業界や職種も見ている。

 

リクナビをポチポチ

マイナビもポチポチ

 

説明会に行って、メモをビシッと取る。

 

あれ?なんだかおかしい。

 

気づいたら大手ばかりを見ていた。

 

いやそんなはずはない。大企業とまではいかないが、優良企業もみてるさ!

 

そう思った自分が情けない。

確かにホワイトで優良な企業もエントリーしている。

 

けど、それはホワイトです。優良です。とどこからか情報をあつめてきた企業だ。

 

案の定、少ない採用数に同じような情報を見た就活生が押し寄せる。

 

うわー。けっきょく全部倍率高いとこだ。

というよりは、昨今の就活は情報戦と言われるからこそ、「優良企業」には大小や知名度に関わらず人気が出るのだ。

 

あのホワイトで有名な「未来工業」の説明会を3月1日にみると、岐阜でしかしていないにも関わらず、全て満席だった。採用倍率の高さを感じた。

そりゃ、国内の平均年収より多くもらえて、年間休日140、それに加えて有給40日だったと記憶してる。残業禁止で、旅行も会社な費用でいける(何年に一回は海外)。会社の改善案をどんなものを出しても一案500円だ買い取ってくれるユニークなシステム。

そこに業績も常にいいもんだから、探してましたと言わんばかりに就活生は集まるだろう。

 

「未来工業」と対極に見える「キーエンス」にも人は多く集まる。

現在の平均年収1777万円。メーカーのメーカーを自負するだけあって、メーカーの始業時間と終業時間より早く出社し、遅く退社する。残業は21:30以降の禁止。

新人には、早くから責任を持たせ成長させる。世界規模で見てもトップレベルになる成長環境がある。

激務ながら、高給かつ確実な成長環境だ。「30台で家が建ち、40台で墓が立つ」なんて言われるほどだから、そのドリームと最高のビジネスパーソンになるために、就活生は大勢受ける。

 

つまり、学生が行きたい企業とは

◯給料が高い

◯福利厚生がしっかりしている

◯社会的地位が高い

◯高級でなくても、プライベートを守りやすい

◯成長できる環境(これは正直建前の人が多いと思う)

◯企業の安定(今時、数年先がどうなってるかなんてわからないから、これは当てにしない)

 

のどれかを満たしている企業だ。

 

必然的に、離職率は高いが高給の大企業か、

優良ホワイトで有名な企業(大小問わず)のどちらかの選択になる。

 

二者択一。企業は星の数はほどあると言われても、一人当たりのエントリーが尋常な数でない今、行きたいところに行ける可能性は高くはない。

就活で就活生がエントリーする総数と、企業数を比べると、エントリー総数の方が確実に多くなるだろう。

 

私たち就活生にとって、最も大切なこと。

それは、内定を得ることだ。

 

それには前提が付く。

昨今の経済的不安や労働状況からよくわからないところや、先が危ぶまれるところを避けて就職したい。という前提だ。

 

特に、インターンや就活開始直後はこの前提を強く意識している。

そこに就活ナビ系統はある一定の企業を強く紹介するので、ある枠組み内で、どこも倍率は高くなる。

 

就活時期が変わって、企業の採用プログラムも流動的な上、

空前の売り手市場と言われる昨今の就活では、企業の大小関わらず積極的に採用活動をする。

 

結論、大小関わらず、同じ時期に採用を行うのだ。

 

さすがにこれはきつい。エントリーシートと説明会が集中する3月〜5月にかけてで1人で100社も出せない。

ましてや面接の日時は確定しないので、いくら出しても被って時間の無駄になる可能性も高い。。。その無駄な時間あったら受ける企業の研究など準備に当てれたはずなのに。。。

 

数打ちゃ当たる。そんなわけもなく、その企業に対応した質を担保できないと落ちることは確定しているのと同じだ。

かと言って、質にこだわりすぎても、面接官や企業との相性、グループディスカッションの相手、当日の体調もある。

絞って、そこに時間をつぎ込んだから受かる、というのは成功者が勘違いする精神論に過ぎない。

 

質と量を共に追い求め、運を掴んだものが内定を得るのだ。

 

と言っても運の要素は強く、内定を一つももらえずに夏に突入する学生も多いはずだ。

パーセンテージでは少なく見えても、実数に直すとなかなかのものだろう。

自分がそうなる可能性だってあるし、なって当たり前と言っても過言ではない就活市場だからだ。

 

そして、内定辞退社のため、追加採用が終わるといよいよ何も残っていないのだ。

 

心は折れ、やる気がなくなっている。

友人たちは内定をもらい、就職まで残りわずかな人生の夏休みを謳歌しているはずだ。ゆっくりするどころか、バイトで積極的にお金を貯め積極的に旅行に行く姿は想像しやすい。

 

そんな中で目的意識を保ったまま、少し前に述べた前提を胸に就活を続けれる人は少ない。

 

けっか、福利厚生や給料といった自分の中のハードルを下げ内定をもらうまで就活を行うのだ。

 

クリスマスに内定をもらった知人は今、週6日で日をまたいで帰宅する労働を続けている。

東京で住宅費はでない。領収書を切る自分の元でもほとんどない状況で、休みの日にカレーを大量に作り、平日の夜食べている。

 

しんどそうなので、転職しないのかと聞くと

三年くらいここで働いて実績残さないと、次が見えてこない。と言う。

 

優秀で話もすごくうまい人なのだ。

ただ業界を絞って(どこも倍率が高い業界)いたからこその状況だ。

 

そのほかの友人には、大企業に勤めたものの、鬱になって辞めた人もいる。

一年目で転職した人もいる。

 

なんだか、今の就活を見て、自分で就活をし、先に就職した友人を見ていると、どん底しかないように見える。

 

大手に受かったから、万歳!なんて時代ではない。

大手や優良企業に受からなければ、入る前から分かる地獄が見えている。

 

バイト先に就職したいですか?と聞けば

かなりの確率で、嫌です!と帰ってくるだろう。

 

それぐらい、生きていきやすい仕事が今の時代にはないのだ。

 

数限りあるパイを奪い合い、奪えた就活生はすごい。奪えなかったやつが、悪い。

社内の競争を勝ち抜き、生き残りったやつが正義で、脱落した人間はその程度。

 

なんていう精神論じみた自己責任溢れるところに原因を追求したりしない。

 

問題は、よりよく生きていくためのパイが小さいことである。少ないことである。

 

企業内環境や就活といった構造に問題があるのだ。

もっと言えば、そうさせた、そうさせている

経済と政治のシステムに問題があるのだ。

 

この構造の話はいずれしたいと思う。

 

政府の提案する働き方改革。よくわからない人から見ると労働時間が短くなって良くなるように見えると思う。

 

そんなことはない。量から質に転換するだけだ。

 

要するに、今までより短い時間で同じ成果を出せ。そう言っている。

 

若者から年配者限らず、鬱の発症には身体的辛さだけでなく、周囲の環境も強く影響する。

 

環境が厳しくなるのだ。国際競争に負けないだけの、質を求められるようになるのだ。

 

政府主導で企業が実践する「働き方改革」は働き方を変えるだけで、

現在起こっている労働時間を解決するに充分なものではない。

 

というより、さらなる発展を求めるからこそ、新しい問題も出てくる可能性も高い。

 

この国はどこに向かうのか。企業はどこに向かうのか。

 

問いへの解答だ。

 

世界という舞台で、競争し続ける。

人間にできることな範囲が広いからこその、青天井。

あいつより上に、お互いしんどくとも、競争はやめられない。

相手が疲れ業績を伸せば伸ばすほど、こちらも対抗して伸ばして疲弊する。

 

最後に立ってたやつが勝者だ。他全部敗者。

だから、人間がどれだけ潰れようとも、最後に仁王立ちしているために進み続けるさ。

 

こんな社会嫌ですね。

 

以上、就活や友人の状況から、政治経済を考えてみました!

 

おーわりっ!

 

◯追伸

就活就活就活。自分の社会認識の矛盾していてもやらねば飯が食えない。

オルタナティブな生き方もあるらしい。けど、だいたいあれは、たまたまうまく言った人の成功例。

 

当てにしてはいけないさ。

そういうのを間に受けて、生活ができないほどしんどくなっている人を何人も知っている。

 

進むも退がるも、違う道を探すのも命がけ。

 

四面楚歌?敵のように見えても、生きたいという同じ土台を持つ人たちばかりだから、違うな。

 

じゃあ、八方塞がりとはこのことだ。

就活日記④ 「職業に貴賎なしなんて言ったやつだれだ」

 

「職業に貴賎なし」

 

おお。確かにそうだそうだ。と思わせるカッコ良い表現が日本にある。

 

どんな仕事であっても社会に必要とされているから職業によって貴賎の差はない。差別してはならない。そう言った意味を持つ。

 

確かにそうあってほしい。けど、実際はどうだろうか。

 

就活をする上に置いて、福利厚生がなかったり、給料と労働時間の釣り合いが取れないものは敬遠される。

 

仕事も労働時間も同じなら、給料高い方に行くに決まってる。もしくは社会的地位の高いとこを選ぶのではないだろうか。

 

あるじゃん。貴賎。と、捻くれた自分は思ってしまうのだ。

 

差別なしに評価するなら、賃金が一緒だとか、社会的地位が一緒だとかあるだろう。

けど、全部ある。ということは、社会的地位や待遇によって貴賎が分かれているということだ。

 

そして、会社別から同じ会社内に視点を変えてみる。

お偉いさんは仕事をしなくても金が入って来る。ソルジャーは働いて働いて自分の生活費とお偉いさんの給料を稼ぐ。

 

もう一度。あるやんか。。。貴賎。

 

どんな仕事でも意味はあるとか、尊敬するべきだとか言う人たちに限って、ファストフードで飯をすませ、汗水垂らして働く人を犠牲にして

美味しい飯を食い、高級な車に乗り、役員室でゆっくりしている。

 

「貴賎なし」は、まるで役員も馬車馬も同じなんだよ。と言って、現実にある格差をブラックボックスに放り込んでいる。

 

本来なら、どんな仕事でも等しい価値を持っているから格差をなくさなければならない、という意味で使われるべきなのに。。。。

 

格差隠しちゃってるし。。。

 

頑張ってるのに貧乏になることを許してはいけない。

 

そして、就活生がここら辺のレベルの会社に就職したいとかいう偏差値的な評価軸があってはならないはずなのに。

 

 

それでも自分も大手企業を狙ってしまう。

特に、就きたい職種以外受けるところは。

 

あーあー。お金や社会的地位で固められた価値の差なんて一度吹き飛んでしまえばいいのに。

 

なんて言ってたら、社会主義者だ!!共産主義者だ!危険思想だ!と言ってどやされそう。

 

でも、人を勝手に差別して

会社を勝手に差別して

職業を勝手に差別して

 

ここには就職したくないなと思ってしまう自分の感性に嫌になる。

 

職業に貴賎なし

本当にその言葉が実現するなら

職業によって貧乏になることがあってはならないんではないだろうか。

 

「しんどいし、給料も少ない。精神病にもかかりやすい。けど、仕事の価値は一緒だからがんばれ!!」

 

なんていう人いたら、チョップしたい。

そして、自分の感性にもチョップしたい。

 

 

 

 

 

◯追伸

すごくまとまりのない文章で申し訳ないです。。。

 

けど、携帯が復活したのでどうしても何か投稿したくてしました。

 

そう、携帯壊れてたのです。。。

就活真っ只中に圏外になって現世に戻ってこなくなったiPhoneを見て僕は、焦りました。

 

いろいろ復活方法を試していると、今度は電源が入らなくなりました。

 

焦って焦って直したんです。

 

数日間予約いっぱいで、3日後の修理予約をしていたら当日のキャンセルが出て、その場で新しいものと取り替えてもらえました。

 

時期が時期だけに、なんとかなって本当によかった。

 

購入から一年以内だったので、無料でしたし、

新しくなったやつは元のよりさらに調子良さげなので、新しい相棒と就活を乗り切ろうと思います。

 

頼むから大事な時に壊れないでね。

 

 

「人格否定」では何も進まない

 

友人と些細な話をしていた。

ファブリーズは有用かどうかという、本当にどうでもいい話だ。

 

そうしていたら、少しずつ話が熱くなっていく。

 

お互いがお互いに引かないところまで来てしまった。

 

ここで相手の言っていることを認めると敗北感がすごい。って瞬間てあると思う。

 

それがエスカレートして喧嘩に。

 

正しさと正しさのぶつかり合いだから、自分も相手も自信満々に話す。

 

そこには相手より優っているという姿勢が出る。

 

だから自分は相手をイラつかせる話し方をしたいのだろう。。。

実際は熱くなりすぎて、自分が何言ったかなんて大半覚えてない。。。

 

けど、人間の頭とは都合のいいもので。相手の言葉だけは覚えているのだ。

 

「おれが面接官だったら、お前を絶対に落とすね。はい落ちた。〇〇社の評価軸だと絶対に落ちるね」

「全然おれのこと説得できてないし、説得される要素もないね」「はい、だから、お前の負け」

 

こんなのを言われたら、黙ってはいられない。

 

おれにそれ言うのかよ。。。と正直泣きそうになった。

 

友人は行きたいところから内定をもらっている。ぼくはなくて、就活を続けている。

 

自分が優秀でないことくらいはわかる。

けど、さっきの話はぼくの低い能力を叩くためにされたものではない。

 

相手が勝負に勝つために、言った言葉だ。

 

面接下手だよとか、伝えるの下手と言われるくらいなら反省したらいい。もしくは、ネタとして笑い飛ばせばいい。

 

けど、どうしても傷つく言葉はあるのだ

誰が好きで就活なんて何回もするんだ。しかも、就きたい職は特殊である。諦めて違うとこも考えた方がいいなんて頭が割れるほどわかっている。

 

なぜ必死でもがく状況を笑われなければならないんだ。

 

そんなことを思っていたら、バカみたいな姿勢をぼくはとっていた。

 

そう。相手の人格をぼくは否定しだしたのだ。

あまりにも腹が立って、しかも自分にもその原因はあるにも関わらず、相手のダメなとこを列挙し始める自分。

 

本当は、人格を否定するんではなく、言われたことが嫌だったと言ったらいいだけなのに。

人格を否定するのではなく、相手のとる姿勢や方法論を批判したらいいだけなのに。

自分が笑って誤魔化したらいいだけなのに。

自分が反省して引き下がったらいいだけなのに。

 

相手の個性を否定してしまった。

 

本来、議論は勝ち負けをつけるものではない。

対話の中から、より高次な領域へ共に進むための材料だ。

 

にも関わらず、自分は議論を拒否し、相手を攻撃し、潰そうとした。

 

ほんとうに意味のないことをした。

 

猛省中です。

 

 

 

〇追伸

就活をする上で面接官の合否が全てだ。

いくら友人がいようと自分なりの評価をしようと、面接官に落とされれば、自分を否定された気持ちになる。

だから、正直、勝手に落ちるとか決めつけないでほしかった。友達からその言葉を嘲笑的に言われると、全世界に否定された気持ちになるではないか。。。

 

 

TPPに反対していたメディアは何処へ

 

「TPP反対」

「TPP は日本を滅ぼす」

 

多くのメディアで、TPPへの批判が吹き荒れた時期があった。

 

個人的に私も反対だ。

何より賛成する理由を生活基盤の中に持っていない。

 

商品が安くなる利点はある。けれど、危険とともに農家の苦しみとともに安くなるものなど受け入れれない。

 

だから、いくつかの批判を繰り広げるニュースや新聞を応援していたんだ。心の中でだけど。

 

そして、転機は訪れる。

TPP 加入が決定しながらも、批判するメディア。うおーそうだそうだ!と思う私。

 

そんな中、トランプ氏が大統領に当選し、就任した。

 

TPP 離脱を決め込むちょいワル大統領。

そして、もっとアメリカに都合のいい二国間条約にしようと言い出す。

 

問題はここにあった。

今までTPP を批判してしたメディアがTPP を離脱するトランプを批判しだしたのである。

 

目を疑った。

二国間条約や離脱を批判するということは、必然的にTPP を肯定する形をとる。

 

今やトランプ批判のためには何でもやるといった姿勢である。

 

あれ?

TPPに反対していた姿勢はどこへ。。。

 

確かに、二国間条約はTPP よりさらにアメリカに都合のいい内容である。批判するのは的を射ている。

 

しかし。。。離脱を批判するのはあまりにもいただけない。

 

 

記事を書くにあたって、どの事実を選ぶかで方向性が出る。客観的な正しさなどどこにも存在しないのだ。

 

だからこそ、自分がどこにいて、問題をどう見るかという主観性が大切になるのだ。感想ではダメだろうけど。

 

だったら、メディアの立ち位置はあまりにも安定していない。

 

とりあえず何かを批判する。くらいの姿勢しか持っていないように見える。

 

ジャーナリズムの本質が批判することだけなはずがないじゃないか。

 

これまでジャーナリズムは事実を世の中に暴露し、社会正義を実行して来た側面を持つ。

 

革命にだって関与した。もちろん戦争にも。それほど主観的かつ実効的な役割を果たしてきた。

 

これはあかんから、こうしよう。

という姿勢が常にあったのだ。

 

いまのメディアをみていると。それすらない。

戦争の反省だとか言って権力批判を行う。

 

いいことなのだろう。

 

けど、言ってることがコロコロ変わる言論機関の言論を誰がどうやったは信じれるのか疑問である。

 

日本の記者の肩書きは、ジャーナリストではなく、ライターなのかもしれない。。。