おじ様方の憂鬱
少し前の面接でなかなか面白い自己紹介があった。
「〇〇部の〇〇と言います。本当は人事に行きたくて、ずっと志願しているのだけどなかなか行かしてくれません」
これを聞いた瞬間頭の中が凍った。
自分自身、この企業の人事にお世話になって、この人みたいになりたい、この人を超えたみたいという気持ちで選考を進んでいたのだ。
人事の話をした時、やはり絶妙な顔をされた。気のせいかもしれないが自分にはそう見えた。
終わったなという思いとともに、面接官のおじ様への気持ちもある。
行きたいという気持ちを持ちながらも、自分より若い人が抜擢される。だとか。。。
自分より若い人間の下で働くだとか。。。
世のおじ様の憂鬱を挙げればきりがない。
息子や娘が鬱で、医療費を始め生活費の年収がたいへんだ。
子どもの大学卒業と共に退職するプランだったが、子どもが就職できなくて、もしくは仕事を辞めて、自分が稼がないと生活できない。
若者につらい社会が今だ。
けど、若者にも親がいる。ということは家族が重要視される日本においては親世代もきついのだ。
そう思うと、本当に多くの人にとってしんどい社会だなあ。。。なんて思ってみたりもする。
〇追伸
今の所連絡が来てないから落ちている可能性がすごく高いんだけど、ちょっとまだ来てないってだけで期待してしまう自分が情けない!
それと。。。「ゆとり世代は。。。」とかって自分だけ棚に上げて「世代」を責めるのは良くないと思う。
「これだから団塊の世代は。。。」的なニュアンスのことを言われて腹が立ったという話をしていた男性がまた飲み屋にいたが、それを言われて腹が立ったり意味がないと思うなら「ゆとりは」なんて言わない方がいいのはわかってくれると思う。
寝る間を惜しむ
自分の好きなリーダーに落合博満がいる。
性格は苦手な側面はあるものの。。。
中日ドラゴンズを8年間率いて、4度のリーグ優勝に導いた人だ。
彼が監督就任会見で言った言葉は「補強はしない。今ある戦力で優勝する」だった。
彼は若手やベテランといった区切りをなくして、努力している人間から使っていった。
天才じゃないんだから、天才に何か1つでも勝つためには寝る間を惜しんで努力しろというのだ。
事実、就任してからの中日のキャンプは地獄のような練習量だった。
現在の大谷みたいなスター選手は見当たらない。ただひたすらプロ野球界においては平均的な人が自分の得意なところをひたすら磨いて優勝した。
就活も同じだと思う。
自分は残念ながら凡人で、むしろ不器用な方だ。
ただそれは言い訳にはならない。そのぶんを埋める努力をできるくらいの健康さではあるのだ。
ほんとに寝ないなんてことはないけど、やろう。
今努力してないとかまでは思わない。
けど、どこかに決まった時に、あの時の自分はまだまだ足りなかったなと胸張って思えるくらいやってやる。。。ぞー!
努力は必ず実るなんて自分は思わないタチだが、努力を一生懸命に他の人よりもしてないとしたら、それは後悔が残るし、凡人の自分が最高の結果を掴むには運が良くても足らないだろう。
すごい倍率の高いインターンで上手いこといったから過信があった。人前で喋ることや初対面の人と仲良くなるスピードには自信があった。
でもこの自信は努力に裏付けされたものでも何でもなす、たまたまできていただけのこと。
就活という柔軟かつ厳しい環境に耐えられないほど脆い土台だったのだ。
もうプライドは捨てる。自信は自信ではなく伸ばせる可能性が高い1つの能力としてみる。
これからは努力と努力の方法論に自信を持てるようなだけのことをする。
まずガッチリした自己分析から始めよう。具体的にストーリー性も持った話をどんな状況でもできるようにしよう。
やってやるぞ!
親への感謝を結果を出して言うために。
自分の限界に挑戦しよう。そして限界を広げよう。
おわり!
就活日記を書く意味
数ヶ月前に始めたブログで就活日記を記し続けてきた。
内容としては就活の現状と、その時の自分の感情だ。
ほとんどが愚痴である。
ここはなかなか内定が手間ないからこその卑屈さを許してほしい。
けど、記すことに意味はあると思う。
自分は就活で一喜一憂した感情を忘れたくない。しんどい思いを忘れたくない。強く心に刻んだ思いを忘れたくない。
「大人」になればなるほど、苦しい時期を棚上げにしてしまう。
多くの「大人」は学生のしんどさや、努力していることに首を傾げる。
そんな「大人」にならないように、自分のしんどい時期と、その苦しさを未来の自分のために残しておきたい。
自分の立場と違う立場の人の気持ちも理解できてこそだと思う。
将来、頑張ってるのにしんどい学生や若者、子どもに向かって「努力が足りない」とか「お前が悪い」とか何の留保も無しに言ってしまう大人になることは、さすがにナンセンスでしょ。
就活日記37 「内定率63%って自分やばくね?」
今日の日経朝刊で「内定率早くも63%」という記事が出た。
そのうちの過半数が就活続行するらしい。
データを集める以上、分母に偏りは発生する。就活に意欲的な学生の回答であったり、内定が出たからこそ、内定者アンケートに答える余裕があるなど、一定の層が分母となってある。
確かに不安定な分母ではあるが、全就活生を分母として分析してみても大きく違った数字にはならないだろう。
そんな中で自分の内定がないというのは、なかなか切ない現状だ。
とはいいつつ、少子高齢化と言われる日本社会においても、学生の数は多く、数パーセントでも実数としては多い。
これだけ余裕がある人がいて、こらだけ余裕がない人がいる。
自分その中の1人で、余裕がない立場として日々を過ごしている。
今日は2つ選考が進めることになった。
そして、行きたいと思っている企業からの電話は鳴らなかった。
スマホを離さない日々にそろそろ疲れながら、友人との飲み。
三軒も回って
ドイツ料理、立ち飲み、山口料理で瓦そば
と胃を満足させれた。
お酒も入ったからなのか、頭は驚くほど楽観的だ。
しかし、お酒なんかの効果がなくとも、胸張って生活したいものだ。。。笑
おーわりっ
就活日記36 「まじでやばい。周りは内定もらった人ばかり」
六月の一週目も終わり、いわゆる就活解禁から一週間が経とうとしている。
内定は。。。ない。。。
周りの人は破竹の勢いで内定が出ている。
行きたいとこの内定をもらって、移動費で儲けれるのでそのために面接に行く人もいる。
この時期に決まる人はいい企業が多いから、羨ましい。そして自分に焦りもかなり出てくる。
自分も全部落ちたわけではないが、この勢いで落ちていると手持ちがいたゼロになるかわからない。
本当に内定もらえるの?
やりたい仕事につけるの?
自分はやはり企業的には使えない人間?
おお。通ったいい感触。このままいけるかも!
よし!この調子で進むぞ!
ああ。またダメだった。。。泣
幾度となく同じ感情のサイクルに悩まされる。
第一志望は最終で落ちた。
志望業界ではないけど、お世話になって行きたいと思った企業は3回目の面接で落ちた可能性が濃厚だ。ここは明日が来なければ落選確定かな。
記者はなんとか残っているとこもある。
けど、なかなか就職浪人をしても受け続ける人がいる業界なので、倍率もさることながら受験者の質も高めだ。
まだ残っている出版社は業界大手で、まだまだ高い倍率が残っている。
このように不安ばかりが募る。
もちろん結果がついて来ていたらいいのだが、内定がないことで面接への余裕は生まれない。
そして企業としても他で内定を貰えないということで使えるのだろうかという疑問を抱く面接官もいるだろう。
どこかで報われたい。
そのための努力をしよう。
けど評価基準がバラバラである就活において、今やっていること以上の何を頑張ればいいのか磨けばいいのかを設定することから始めたい。。。
同じことを繰り返して同じ悩みを繰り返す進歩のなさだけはどうにかしないと。
就活日記35 「絶対落ちたと思ったところからの通過連絡」
先日、就活の掲示板を見ていてタイミング的に絶対に落ちたなと思った企業からの連絡があった。
通過してた。なんとか次に進める。
正直なところ補欠合格だとは思う。
けど、何はともあれ次には進める。
夢が散るよりも、夢を描けない時間が最も苦痛だ。
描けている間は歩ける。
どこまで歩けるかはわからない。けど、頑張ります。
精神論だけど笑
この一喜一憂の感情とは真面目に付き合うと疲れるので、楽しみながら付き合えるよう努力したい。
エッチな思いは国境を越える
嫌韓や反日などのどこかの国がどこかの国を嫌悪する時代が今来ている。
あーだこーだ言い合って格好悪いから「みんな人類って共通点あるんだから喧嘩はやめようや」なんてことを思ってみたりする。
けど、そう簡単には問屋は卸さないってね。。。
なかなか文化も違えば、国家間の戦争という歴史を持ち、そこにどう折り合いをつけるかなんてなると言い合いになるに決まってる。
なかなか共通点を見出しにくいのだ。
人間の三代欲求。
「食欲」「睡眠欲」「性欲」
どれかは架け橋になるのではないだろうか。
このうちの食欲は文化によってかなり好みが分かれる。腹減ったは同じでも何が美味しい何が食べたいはこれまた違う。
睡眠欲は当たり前だ。
寝たい。寝ないと生命活動を維持できない。これは共通点になりそうだ。けど「寝たいよねー」だけで話がもたない。寝具に関してはこれまた文化によって様々なのだから、相容れない部分がたくさん露呈する。
性欲はどうか。
私たちは生物であるからして、種の保存を目的とした行動は確実にとる。これは共通点だ。
そして何が好みか。んー。確かに、文化によって違いは確かにある。しかしエロいことへ探究心はかなりの多岐にわたる好みに対して驚くべき寛容さを発揮する。これだ。世界中のエロに興味を抱くのは自分だけではないはずだ。
「クレイジージャーニー」という番組で写真家のヨシダナギがアフリカの少数民族の写真を撮るために旅をする企画がある。
本人は現地の人にかなりモテる様子。
少数民族の人たちと打ち解けるために、そこの民族衣装に着替えたりするのだが、だいたいが胸を出している。
それに興奮して触っちゃう人までいた。現地のおっちゃんだ。その時はスリ族のコミュニティーに出向いていた。おっちゃんは挙げ句の果てには写メまで撮ってた。
日本人が美しいから?ヨシダナギが綺麗だから?そんな理由もあるだろうけど。。。
どうだろう。自分の前におっぱいがあったら気にせずにはいられないだろう。もし日本が乳首を出す文化を持っていたとしても、興味をなくすことはないだろう。ここは確信を持って言える。
どんな民族であろうと、どこに住んでいようと文化の中に性欲に根ざしたものはしっかりあって、確実に女性の胸と性器と男性の性器を中心に形取られている。
ということはエッチな思いは全国共通なのだ。
中国でどれだけ反日が盛り上がろうとも大人気のAV女優のことを嫌いになったりしない。
日本でどれだけ嫌韓が叫ばれ用と、少女時代などの女性グループが日本から追い出されることもない。
もし、どこかの国や民族が嫌いだからと言って、男性も女性もエッチな思いを抱かないというのは自分に嘘をついているんだ!と言いたい!
それほど、万国共通の興味関心ごとなのだ。
意外と世界平和なんてビックなことの達成には「みんな同じ人類なんだから同類で殺しあう戦争は良くない」なんて言う言葉よりも中学二年生が言い合って笑うような下ネタが架け橋になるんではないだろうか。
万国共通で笑いあえて納得する話題。
それが「性」だ。
◯追伸
自分は男性なので、かなり男性中心的な視点の文章になってしまったが、女性も例外ではないと考えている。
確かに社会的には女性は性にフリーなのは良くないだとか言われたりすることもあるのだろうけれども、それは違うと思う。
女子校では男子高校生なんて鼻息で吹き飛ばせるほどの話をしている。
何より女性が性に興味を持ってはいけない、なんて考えはもう過去の古い話だ。