就活日記35 「絶対落ちたと思ったところからの通過連絡」

 

先日、就活の掲示板を見ていてタイミング的に絶対に落ちたなと思った企業からの連絡があった。

 

通過してた。なんとか次に進める。

 

正直なところ補欠合格だとは思う。

 

けど、何はともあれ次には進める。

 

夢が散るよりも、夢を描けない時間が最も苦痛だ。

 

描けている間は歩ける。

 

どこまで歩けるかはわからない。けど、頑張ります。

 

精神論だけど笑

 

この一喜一憂の感情とは真面目に付き合うと疲れるので、楽しみながら付き合えるよう努力したい。

エッチな思いは国境を越える

 

嫌韓反日などのどこかの国がどこかの国を嫌悪する時代が今来ている。

 

あーだこーだ言い合って格好悪いから「みんな人類って共通点あるんだから喧嘩はやめようや」なんてことを思ってみたりする。

 

けど、そう簡単には問屋は卸さないってね。。。

 

なかなか文化も違えば、国家間の戦争という歴史を持ち、そこにどう折り合いをつけるかなんてなると言い合いになるに決まってる。

 

なかなか共通点を見出しにくいのだ。

 

人間の三代欲求

「食欲」「睡眠欲」「性欲」

 

どれかは架け橋になるのではないだろうか。

 

このうちの食欲は文化によってかなり好みが分かれる。腹減ったは同じでも何が美味しい何が食べたいはこれまた違う。

 

睡眠欲は当たり前だ。

寝たい。寝ないと生命活動を維持できない。これは共通点になりそうだ。けど「寝たいよねー」だけで話がもたない。寝具に関してはこれまた文化によって様々なのだから、相容れない部分がたくさん露呈する。

 

性欲はどうか。

私たちは生物であるからして、種の保存を目的とした行動は確実にとる。これは共通点だ。

そして何が好みか。んー。確かに、文化によって違いは確かにある。しかしエロいことへ探究心はかなりの多岐にわたる好みに対して驚くべき寛容さを発揮する。これだ。世界中のエロに興味を抱くのは自分だけではないはずだ。

 

「クレイジージャーニー」という番組で写真家のヨシダナギがアフリカの少数民族の写真を撮るために旅をする企画がある。

 

本人は現地の人にかなりモテる様子。

 

少数民族の人たちと打ち解けるために、そこの民族衣装に着替えたりするのだが、だいたいが胸を出している。

 

それに興奮して触っちゃう人までいた。現地のおっちゃんだ。その時はスリ族のコミュニティーに出向いていた。おっちゃんは挙げ句の果てには写メまで撮ってた。

 

日本人が美しいから?ヨシダナギが綺麗だから?そんな理由もあるだろうけど。。。

 

どうだろう。自分の前におっぱいがあったら気にせずにはいられないだろう。もし日本が乳首を出す文化を持っていたとしても、興味をなくすことはないだろう。ここは確信を持って言える。

 

どんな民族であろうと、どこに住んでいようと文化の中に性欲に根ざしたものはしっかりあって、確実に女性の胸と性器と男性の性器を中心に形取られている。

 

ということはエッチな思いは全国共通なのだ。

 

中国でどれだけ反日が盛り上がろうとも大人気のAV女優のことを嫌いになったりしない。

日本でどれだけ嫌韓が叫ばれ用と、少女時代などの女性グループが日本から追い出されることもない。

 

もし、どこかの国や民族が嫌いだからと言って、男性も女性もエッチな思いを抱かないというのは自分に嘘をついているんだ!と言いたい!

 

それほど、万国共通の興味関心ごとなのだ。

 

意外と世界平和なんてビックなことの達成には「みんな同じ人類なんだから同類で殺しあう戦争は良くない」なんて言う言葉よりも中学二年生が言い合って笑うような下ネタが架け橋になるんではないだろうか。

 

万国共通で笑いあえて納得する話題。

それが「性」だ。

 

◯追伸

自分は男性なので、かなり男性中心的な視点の文章になってしまったが、女性も例外ではないと考えている。

 

確かに社会的には女性は性にフリーなのは良くないだとか言われたりすることもあるのだろうけれども、それは違うと思う。

 

女子校では男子高校生なんて鼻息で吹き飛ばせるほどの話をしている。

 

何より女性が性に興味を持ってはいけない、なんて考えはもう過去の古い話だ。

 

 

就活日記34 「30以上あった持ち駒は残り5つ」

 

少し落ち着いてスケジュール帳を見た。

 

出した企業を数えたら30ちょっとだった。

これは多い方なのか少ない方なのかわからない。

 

けど、8割はすでに落ちているということだ。

 

残り5つ。

 

残ってる中に行きたい企業ももちろんある。

 

そこは現段階ではエントリーの状態では150倍くらいだった数が、残り20倍くらいになっている。

 

そのために準備も含め頑張るぞ!の気持ちとは裏腹に今までで最終で落とされることも多かった自分に自信を担保できるほどの事実がない。

 

努力の方向性も見失いつつあるのが現状だ。

 

しかし。。。何はともあれ残りを頑張る。

 

。。。そして手持ちを増やす。

 

どこを向いても、就活生の「もう持ち駒が少ない。不安だ」と声が聞こえてくる。

 

「そうじゃなくてその持っているところにどうやったら受かるかの精度を上げた方がいい」と多くの人は言う。

 

わかっているし、その通りだ。

 

しかし、どんなに頑張っても、自分の勘違いや相性含め様々な理由で落ちる可能性の方が基本は高い。

 

なので、私たち就活生は「持ち駒」の数で精神安定させている。

 

どっちもやりながら続ける。

 

もうそれしかない。

 

正直、二次募集の探し方もイマイチ掴めてないが、大学のキャリアセンターなどに行って、一巡目で終わらないことも視野にやっていこうと思う。

 

情けない話だが、本当三月からは一喜一憂の繰り返し。

 

調子乗って落ち込んでだ。

 

よくない傾向なのだろうけど、今ふとこの3ヶ月を考えるとよくもまあここまで一喜一憂できるなと、おかしくて笑ってしまう。

 

あとは、受かって美味い酒を飲みながら笑えるといいな。

 

おーわりっ!

就活日記33 「初めてのファンデーショ。そして、みんしゅうで通過連絡の嵐。そんな中で動かない自分のメール」

 

志望業界とは違うけど、いろいろお世話になっていて、この企業になら入りたいというところがある。

 

就活解禁とされる今日の一発目の面接だった。

 

だいたいが当日に通過連絡が来る企業だ。

 

みんしゅうを覗くと「まだ来ない」から「来た!」の流れが増えた。

 

自分の受信ボックスは黙ったまま。

ホームページに行っても変化はない。

 

落ちたなこれ。。。そんな現状を突きつけられている。

 

ラインが鳴るたびに飛びつくように携帯を見るのも疲れた。

 

就活のしんどさ噛み締めてます。

 

確かに今までもずっと選考だった。

 

けど、ここまで落ち続けると涙よりも冷や汗で脱水症状になりそうだ。

 

先日立て続けに関わっているところで用事が入って一睡もできない中、栄養ドリンクで鞭を打ち、目の隈がすごかったので朝コンビニでファンデーションを買ってできるだけ隠して臨んだ。

 

今の自分から見ると午前中の自分が非常に痛い奴に見えてくる。。。

 

あー。卑屈だー!

 

このまま本当に就活乗り切れるのかよ。。。

就活日記32 「うまくいった面接だったはず。。。」

 

就活あるあるで、まだ連絡来ないから気になってみんしゅうを見ると通過連絡が他の人には来ている。。。っていう状況です。。。

 

もう不合格のメールを待つだけというのがわかるので悲しい。。。

 

ここの面接はすごくうまくいった感覚があった。ナゼーダーと思うばかり。

 

落ちたなと思ったら受かって、いけたと思ったら落ちるみたいなことも多いので、どうやったら良いのかすごく困惑します。

 

 

明日は志望度高いところの面接だ。

迷いがあるままでは落ちた時納得いかないので、しっかり準備します。。。

 

 

内定欲しいよ〜

詰め込み教育と体罰は資本主義に耐える身体をつくるトレーニングだ

 

どこに行っても「ゆとり」という言葉を耳に挟むのでまた考えてみた。

 

先日カフェで本を読んでるとカップルか横に座った。

 

「私たちゆとり世代やからなあ」と自分たちの仕事に対しての猛烈な熱意の薄さを心配しているようだ。

 

いつもゆとりとは何かばかり考えてた謂わゆるゆとり全盛期世代の自分にとっては、詰め込み教育とは何のために行われたのかが疑問だった。

 

どこかで、本読んでしっかり考察を書きたい。今回は雑感だ。

 

もう言いたいことはタイトルの通りだ。

日本において資本主義が明治時代に国家的な広さで産声をあげた。

 

戦争まで突き進み、領土拡大や資源獲得を目指した侵略行為は国家的な資本主義の行きつくところだ。

 

そして戦後の荒廃を立て直すのに財布をより小さく。違った。。。政府をより小さくして民間の力で資本主義をさらに推し進めた。

 

結果、ここにおいて求められるようになったのは国家のために動く軍人に近しい意味での企業戦士だった。

 

国家が企業に変わったのだ。

 

具体的に求められることはあまり変わらない。

 

上司の命令に従う精神。

どんなにしんどくとも壊れない強靭な身体。

しんどくとも崩壊しない精神。

 

こんなところではないだろうか。

 

考えるな。言われた通りに動け。

という色が強く出ている。

 

 

要するに強烈な進歩を続ける資本主義に耐えられる人間を作り出して行ったのだ。

 

だからこそ膨大な残業に耐えれた。

 

私たちゆとり世代はどうか。

詰め込みはされながらも、できるだけ自分で考えて結論を出せという色が強く出た教育制度の中で育った。

 

なので部活をしているからといって、高度経済成長の戦士とはつくりが違う。

 

そこに無理やり高度経済成長並みのものを求めると壊れる。

普通に考えれば当たり前だ。

 

しかし高度経済成長世代の人たちはすぐに「これだからゆとりは」と言う。

 

飲み屋で横でそうやって愚痴りあっているおじさん連中がいたらいつも言いたくなる。

 

「いやいやいや。私たちの世代の受けた教育制度を前提とせずに頭ごなしに理不尽がるのは筋が通らない。誰も教育を自分で選んで受けたわけではないでしょう。

同じ意味のことをあなたたち団塊の世代に言います。何でネット使いこなせないの?何でTOEIC低いの?何で新しい考え方を受け入れられないの?」

 

こんな感じ。

明らかに自分がひねくれてる。ここは認める。

 

しかし、各個人の前提と結果を無視して、ちがうことを言い続けるほど滑稽なことはないだろう。

 

もう1つ。言い続けているということは、伝えた相手や世代を変えられていないということだ。

変わらないから批判したり愚痴の対象にしたりするのは、いささか卑怯ではないのか。

どうやったら伝わるのか変わってくれるのかの努力なしに口先だけでの文句など、自身の努力不足を世間に向けて叫んでいるだけになってしまっている。

 

◯追伸

高度経済成長に企業戦士と育てられることから脱落した人間も多くいる。

最終的に企業で活躍できるであろう訓練に耐えた人間だけが社会の基準となる。

あまりにも理不尽ではないか。

 

 

就活日記31 「いわゆる6月の解禁日直前」

 

あと少しで、経団連の面接解禁指標の6月1日を迎える。

 

三月説明会解禁としてただいま3ヶ月就活をしている。

 

内定。。。なし。。。

 

もうこれは由々しき事態だ。

 

就活めんどくさくてやってないとかではない。

毎日毎日、エントリーシート、説明会、ウェブテスト、筆記、面接とやりまくってきた。

 

三月から今まで何もなかった日は二桁少し変えたほど。

 

東京行って面接受けて帰って面接受けてES書いてみたいな日々が今の所実っていない。

 

もうボロ雑巾状態の結果を叩き出しながら、解禁日を迎える。

 

解禁日なのに手持ちがあまりないという現実に、初夏を待たずしてひたいに汗が踊る。

 

インターンなどの早期選考は当たり前だ。間違っていない。

解禁日を待たないのも他に優秀な学生を行かせないようにという意味では間違っていない。

 

そんな中で意義の空洞化の進む「解禁日」を迎えるのだ。

 

現状と意味の矛盾に、必要より強く焦りと不安を感じてしまう。

 

ならば。。。解禁日なんていうものの設定をしないでほしい。

 

切実だ。